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『線の冒険』松田行正(角川学芸出版)

線の冒険

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「奇妙なリズムを求めて」

『眼の冒険』、『はじまりの物語』と松田氏の本を愛読してきたが、本書も期待通りだった。期待通りというのは、実に軽々とこちらの予想を裏切ってくれるという意味である。タイトルに「線の冒険」とあって目次に「ひび割れ」、「垂直」、「立体」、「旋回」、さらには「神風」、「線状人間」、「恐怖」といった言葉が並ぶと、それだけでもあやしいパーティ風の賑やかさなのだが、それで実際に頁をめくると、話があちこちに飛んだり跳ねたりする。まさに「冒険」である。

 そもそも松田氏の頭の使い方というのは、筆者などからすると実に不思議なのである。たとえば「魔方陣と線」というタイトルのついた第三章(41-54)。魔方陣とは何かというと、「正方形のなかを均等に区分けして、タテヨコ斜めのどの列を足しても同じ和になるように数字を並べたもの」とのこと。さらに「足しても賭けて同じ数字になるのは完全魔方陣」だそうだ。

 この説明、2回読まないと意味がわからなかった人もいるかもしれないが、松田氏はそんなことにはおかまないしにどんどん話を進める。「二の魔方陣はもちろん存在しない」のだそうだ。ほお、と思う。何が「もちろん」なのかよくわからないが、きっと本の著者がそう言うくらいなのだからそうなのだろう。すると、

三の魔方陣は一種類しかない。ただし、五を中心に回転させると四つの変形版ができる。それを各々左右反転すれば計八個できる。五の魔方陣は百万個以上、六以上はほぼ無限に存在するらしい。(43)

「らしい」とか言っている。こういうことには、凡人にはわからないその筋の人がいるようなのだ。さらに、

むかし、「三の魔方陣」の魅力にはまっていたことがあった。後述するが、その神秘的な背景もさることながら、中心の五からはじめて数字順にたどると生まれる軌跡にはまっていたのだった。この軌跡は、方陣の数が増えていくにしたがって規則的ながら複雑な線の集積ができ上がり、魅力的だ。(43)

「『三の魔方陣』の魅力にはまっていた」とはどういうことなのだろう。人はいったいどうやってそんなものにはまることができるのか? 松田氏は三の魔方陣の「神秘」に打たれ、さらには「中心の五からはじめて数字順にたどると生まれる軌跡にはまっていた」のだと言う。筆者からすると、そのようなものに「はまる」ことができる人の方がずっと神秘的なのである。

 しかし、松田氏の話は止まらない。「四や五の魔方陣に手を出して気分を変えたり」し、いろいろな線を描き出したとのこと。そうすると「できあがった線の連なりは、まさに乱舞といってもよさそうな奇妙なリズムに溢れていた」。そして頁をめくると、たしかにそこには線の「乱舞」があるのだ!図版を引用できないのが残念だが、松田氏の気まぐれにも見える妙な執念は、秩序を越えた秩序に満ちた、実に美しい散逸のイメージに結実しているのである。そこには松田氏の独特な欲望が、見事な明瞭さとともに表現されているのである。

 「そりゃ、松田氏は理系なんだよ」というような意見もあるかもしれない。しかし、本書を読んでもらえばわかるように、そういうのとも違う。たとえば「神風と空爆」と題された第五章(67-86)では、太平洋戦争初期に日本本土をはじめて空爆した米軍の爆撃機や、末期になって日本からアメリカに飛ばされた風船爆弾(日本中から集めたコンニャクでできていたとのこと!)の話が中心となる。ほお、ほお、などと思って読んでしまうのだが、それがいつの間にか爆撃機や風船の軌跡の、マニアックな図版として登場すると、今までの理解とは全然違う角度からわかった気になるのである。

 つまり、ストーリーや議論がないわけではない。それどころか、「お話」はどの章にもあふれるほど詰まっているのだが、松田氏はその途中で手綱を手放すのが実にうまい。手綱を手放して、かわりに数字や、データや、連鎖や、イメージに好きに語らせるのである。しかもそうして勝手にしゃべりだす数字やイメージに、うっとりと魅惑されることができる。そんな彼が、選りすぐりの収穫物を集めて形にしたのが本書なのである。

 つくづく思わされるのは、我々が力んで語れることなどたかが知れているのだな、ということである。松田氏の論法の鍵となるのは「そういえば」の語りである。その「そういえば」の中に、「線だけで人やモノを描くとき、横向きのほうが正面より遙かに運動を記述しやすく、表現の幅が広がる」(132)といった蘊蓄があったり、四角形を偏愛したキリスト教・シェイカー派の話が出てきたりする。

 パンや肉は必ず四角に切り分け、それを盛った皿は、テーブルを斜めに手渡すことを戒め、広場や部屋のなかなど対角線側に行きたいときでも、決して対角線をいかずに直角に曲がって行くことをよしとするなど、ほとんど石垣直角である。(112)

ちなみに自身グラフィック・デザイナーである松田氏によれば、一般にグラフィック・デザイナーにはこのようなシェイカー教徒的資質があるらしいとのこと。それで「魔方陣の謎」も少し解けたような気がする。

 宗教から人類学、歴史、さらには美術史、文学史、文献学と実に自由にジャンルを越えながら語る松田氏の博識ぶりと話術の巧みさ軽やかさには敬服するほかないが、今回の『線の冒険』には今までのものに加えて政治への意識のようなものが浮かび上がっているようにも思えた。あるいはそれが今後の方向としてより明確になってくるのかもしれないという予感も抱いたが、何しろこのこの著者だからあっさり裏切られるかもしれない。それもまた楽しみである。


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