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プロの読み手による書評ブログ

『The Bully, the Bullied, and the Bystander』Barbara Coloroso(Harper Resource )

The Bully, the Bullied, and the Bystander

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「いじめの問題に真っ正面から取り組んだ本」

 8歳の息子を持つ親としては、成績もさることながら、いじめの問題も心配するところだ。

 息子は現地校にバス通学をしているが、その帰りのバスで他の学校の生徒のひとりから、「いじめ」とも受取れる行為を受けていた。

 一度は息子から、その子供にやめろと言うように言ったが、行動が改まった様子がなかったので、直接息子の学校に相談した。

 こちらの学校の行動は素早かった。相談したその日のうちに、校長が息子から事情を聞き、相手の学校の校長に直接連絡を取った。

 その子供は自分の学校の校長に呼び出され、その後、その子が乗った帰りのバスに息子の学校の校長が乗り込み、その子供と話をした。

 自分の学校の校長と、こちらの学校の校長ふたりから話をされたその子は、自分の行動を改めた。

 この問題は、相談をしたその日のうちに解決してしまった。僕と妻は、校長の行動の早さと、その直接的な解決の仕方に驚き、同時に大きな安心感を得た。

 しかし、いじめの問題がどこでもこう簡単に片付くとは限らない。ある学校では、数人でひとりをいじめ、対象となった学生が限界に達し相手をなぐったことがあった。

 学校側は暴力を振るったとして、いじめを受けた子供を停学処分にし、いじめをしていたグループにはなにも処分を下さなかった。

 直接暴力を振るわれなかった同じグループの子供たちが「なんにもしていないのに、彼が急に暴力を振るってきた」という「証言」をおこなったからだ。

 また、ほかの学校ではある女子生徒が、男子生徒の前でスカートを上げて下着を見せた。その女生徒は退学処分となったが、原因は女子生徒のグループが、そうしたらいじわるをするのをやめると言ったからだった。もちろん、女子生徒のグループにはなんの処分もなされなかった。

 「本当にやるとは思わなかった」

 「ただ、からかっただけだった」

 などはいじめをやる側が捕まったときの言い訳としてはよくあるものだ。

 アメリカでもいじめはある。そして多くの子供たちがいじめにより自分の命を断ち、あるいは相手やそのほかの人々の命を奪っている。

 今回紹介する本は、この「いじめ」の問題を真っ正面から捉えた「The Bully, the Bullied, and the Bystander(いじめっ子、いじめられる子、そして傍観する子)」だ。

 この本には、いじめの種類、いじめを受けた子供のみせる危険信号、いじめっ子を作る家庭状況などに加え、いじめを受けたときにいかに対処するか、いじめを受けた子供に対して大人がやってはいけないこと、やらなくてはいけないこと、いじめを受けたときの効果的な解決方法などが、統計などをもとに述べられている。

 しかし、いじめの問題は根深く、簡単な解決方法がないこともこの本を読んで分かる。

 最も効果的な解決方法と感じられたものは「バディ(仲間)」と呼ばれるものだ。これは、学年の上の学生をいじめを受けている子供につけて、学校内で彼を守らせるというものだ。

 いじめは陰湿で、外からはなかなかみつけられない時がある。しかし、ほとんどの生徒はいじめが行われている事実を知っている。そこで、年長の生徒にいじめられている生徒を守らせるというシステムだ(あるいは部外者の人間をいじめを受けている子供につけ守らせる)。クラスルーム、廊下、食堂、運動場、登下校の道などいじめが発生しやすい場所、つまり内側からいじめをなくす試みだ。

 これも、学校側の協力、システム作り、いじめを受けている生徒の同意が必要という壁はあるが、先生や親たちでは実現不可能な効果を生み出すと思う。もしこれでいじめが止まり悲劇を抑えられるなら、社会としてこのシステム作りを考えてもいいだろう(例えば、学校や親の電話要請によるプロの「バディ」の派遣など)。

 この本のなかでも述べられているが、いじめっ子のそばを通るな、いじめっ子と対決しろ、いじめっ子の親と話し合いを持つ、ということだけではいじめの問題はなくならない。それどころか、ときにはいじめをエスカレートさせる結果を招く場合もある。

 いじめの問題は、社会的なシステムや意識の変革が必要だと分かる本だ。


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