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プロの読み手による書評ブログ

『羆嵐』吉村昭(新潮社)

羆嵐

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 札幌市の住宅街にヒグマが現われました。テレビで報道されたのでご存知の方も多いでしょう。付近の公園や自然歩道は閉鎖されたそうです。札幌市中央区役所のホームページでも「クマやクマの足跡などを見つけたらすぐに110番通報しましょう!」と必死の呼びかけがされています。テレビでインタビューに答えたタクシーの運転手は「ヒグマはこのバスの停留所にもたれかかって立ってたんです」と興奮気味に話していましたし、付近の住民は「夜のウォーキングができません」と残念そうに語っていました。まるで凶悪殺人犯が脱獄したかのような厳戒態勢です。ヒグマとは、いったいどれほど危険な獣なのでしょうか。

 その問いに答えてくれるのは、吉村昭です。記録文学の巨匠で、東日本大震災後に注目を集めた「三陸海岸津波」の著者としても有名です。その彼が、1951年に起きた日本史上最大の獣害事件「三毛別羆事件」を取材して著したのが、本書「羆嵐(くまあらし)」。この本にはヒグマという獣の恐ろしさがこれでもかというほど緻密に描かれています。

 この本を読み終えた瞬間からあなたは、ヒグマの影に怯えて暮らすことになるでしょう。私などは、木彫りの熊はおろか、あの愛くるしい、リラックマにすら触れるのを躊躇するようになりました。私が臆病なのではありません。あの北海道大好き人間、倉本聰だって巻末の解説でこう述べているのですから。

運の悪いことに僕はこの作品を五十二年の夏の盛りに読んだ。そしてその秋北海道富良野の原生林の中に小屋を建て移った。その最初の晩工事の手ちがいで小屋に電気がまだ引けておらず、はからずも闇の一夜を過ごす破目となった。だらしのない話だがあの初夜の恐怖は今でも胸に灼きついている。ローソクの炎とそれがつくる影。何重にも迫って押してくる圧倒的ボリュームの闇の濃度。原生林が建てる様々な物音。それらの中で子供のように脅え、酒を飲んで結局朝まで眠れなかった。その深夜。恐怖で震えている小生の脳裏にどういうわけかつい先頃読んだこの『羆嵐』が浮かんでくるわけで、ああいやなものを読んでしまった、変なものを変な時読んでしまったと後悔の念しきりと起ったのである。

 倉本聰はわざと恐ろしげに書いているのに違いない、と思ったそこのあなた。違いますよ! ヒグマは本当に恐ろしいのです。特に闇の中から小屋を襲うヒグマ、いえ、これ以上語るのはやめておきましょう。「羆嵐」、必ず読むべし。読んで彼らの襲撃に備えるべし。それだけ言って今回の書評は終わりにします。本当に怖いです。ヒグマをなめてはいけませんよ!


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