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『重版出来!』松田奈緒子(小学館)

重版出来!

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 1巻も面白かったのです。本を「売る」人々の熱い仕事ぶりが真摯に描かれていて、だからこそ重版がかかるシーンはとても感動的で、主人公もかわいくて、「面白いから読みなよ!」と人に勧めたりもしました。

 しかし、2巻に、ここまで胸をえぐられるとは。

 1巻で本を「売る」喜びを知った主人公・新人編集者の黒沢。2巻は本を「つくる」過程に重点を置いて物語が進行します。人気連載漫画家・高畑一寸の担当を引き継いだ彼女は、煽り文句を考えるのに四苦八苦したり、他誌からの引き抜きを心配したりしながら、高畑に面白い漫画を描かせようと奮闘します。

 この高畑の心理描写がいい。同じ作家として感情移入して読んでいる部分もありますが、とにかく生々しいのです。

 自分を人気連載漫画家に育ててくれた編集者に義理を感じている高畑。その一方で、ひとつの作品だけを描き続けていて本当にいいのだろうか、という迷いも持っています。そんな時、他誌の編集者から「本当に描きたいもの描いてらっしゃいますか?」と口説かれ、高畑の心は動きます。アシスタントに「漫画家なんて声かけてもらえるうちが華だし…」と言われてさらに揺れ動くのです。

 そんな高畑を見て、黒沢も「できれば自由に描かせてあげたい」と思うのですが、そんな彼女を、前担当編集者・五百旗頭の言葉がぐいっと引き戻します。

「漫画家に自由に描かせてどうする! 描きたいシーンしか描かないぞ。描きたくないような地味なコマを重ねて重ねて、やっと辿り着くのが『物語』だよ。描く側の苦しみは読者の喜びと正比例するんだ。その作品を最も高いクオリティに引き上げるのが俺たち編集者の仕事なんだ」

 敏腕編集者のこの台詞がこのエピソードの肝であることは間違いありません。正論。かっこいい台詞です。しかし「地味なコマを重ねて重ねて」いくというのは、口で言うほど簡単なものではありません。途方もない作業の中で、光を失い、進むべき道が見えなくなる恐ろしさ。このまま続けていて、本当に価値のある「物語」に辿りつけるのだろうかと悩み続ける高畑。その彼が、かつての担当編集者への思いを語るシーンには、思わず鳥肌がたってしまいました。部屋でひとり「Yes!」と叫びそうになったほどです。そして、高畑はこうも続けます。

「この業界が、生存競争厳しいのは知ってる。チヤホヤされるのも売れてるウチだけだ。もう声をかけてもらえないかもしれない」

 そのとおり、漫画家に限らず、フリーで食べている人間には「次」がある保証などありません。この2巻には、「次」に進めずに苦しむ漫画家や、失敗して惨めな末路をたどる漫画家のエピソードも収録されています。漫画家を志し、死ぬ気で頑張ったとしても、大多数がたどりつくのは、こちらのほうでしょう。対して編集者は、身分を保証される代わりに、「会社に利益をもたらさなければならない」という重い責任を負っています。だからこそ、編集者は漫画家に「何を描かせてくれるのか」を問われ、漫画家はどちらの編集者に人生を賭けるか悩むのですよね。

 とにかくこの2巻は作家として感情移入するところが大きかったのですが、「2巻面白かった」とTwitterでつぶやいたところ、紀伊国屋書店社員さんから即座に「私は書店員や営業の登場が多かった1巻のほうが好き」というダイレクトメールが飛んできました。そうか。やっぱり職業柄、肩入れするところが違うんですね。なんだか考えさせられました。1巻も読み直してみようと思いました。

 出版業界以外の読者はどう感じるのでしょう。会社員(編集者)とフリーランス(漫画家)という「働き方」に自分を重ねて読むのか、はたまたメーカー(出版社)と販売(書店)という「立場」でまた思いが変わるのか、お客様である「読者」として出版業界をめぐる物語を見つめるのか…。非常に興味深いです。ひとりひとり感想を伺ってみたいものです。

 そして、この漫画の主人公・黒澤は変わらず魅力的ですね。新人だし、体育会系だし、頭のいいことはひとつも言わないのですが、裏表のないまっすぐな意見が、いちいち心に刺さります。会社員時代の取引先に、黒澤と同じように「柔道しかやってこなかった」という社員さんがいたのですが、やっぱりいい仕事をする人でした。すぐ柔道にたとえようとするところも、隙あらば鍛錬を積もうとするところも、妙に度胸があって打たれづよいところも同じでした。会社って案外、ああいう人でもってたりするものなのですよね。2巻の終わり、突如訪れた危機を、彼女はどう乗りこえるのでしょうか。3巻が楽しみです!

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