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プロの読み手による書評ブログ

『アントニオ・ガデス』(新書館)

15gades →紀伊國屋書店で購入


「ストイックな魂のうねり
 スポーツシートにGを感じるような
 書評が始まらない(前編)」

ピレネを超えたらそこはアフリカ、とはナポレオンの言葉だったか。
確かに突然、車窓に広がる山肌の色が変る。
ピレネとは、フランスとスペインの国境に横たわる山脈で、当時は電車のレール幅が違っていて、夜中でもたたき起こされて、国境で電車を乗り換えなければならなかった。1等車は乗客が乗ったまま車体ごと車輪幅を変えてくれると聞いていたが、経験はない。

また学生時代の話だが、イギリスのヨークで液晶の国際会議があって、学会後ロンドンに出て、いつものヴィクトリア駅からフェリー経由パリ直行列車に乗り、で、いわゆるバックパッカーで貧乏旅行をした。何度目だったか、そんなに何回もやっている訳ではないが、マンチェスターの生活とバックパッカーは、今の私の原点、原風景になっている。

もちろん当時は日本からの往復渡航からして全部自腹なので、本当にお金が無かったので、宿代を浮かす為に3日に1泊は移動の夜行列車泊のような。
パリの北駅を乗り継ぎ、色々あって、さらに夜行でスペインへ。
そのピレネでたたき起こされて、また色々。で、マドリドに早朝着くと、バックパックを肩に、「i」が目印のインフォメーションへ。地球の歩き方曰く、マドリドのコンロッカーは危ないから使うな、と。確かに全部カギが壊されていて、当時はロッカーに預けば、荷物が中に入っているというサインで、全部中身が取られてしまっていた。で、外の荷物預かり所が便利、というバックパッカーの情報で、よれよれのランニングシャツの男の子が、こっちこっちと客寄せをする。増々怪しい。

だがこれから今夜の宿選びの交渉という時に、このギラギラ太陽に、このバックパックは重すぎる。で、その子供に誘われるまま、そのバラックの怪しい荷物置き場に行くと、よれよれのTシャツのあんちゃんが分かりやすい英語でワンデースリーダラーとか言う。そう言われて奥を見ると、確かに沢山のバックパックが無造作においてある。どうせ取られてなくなってもいいようなTシャツとか下着だから、背に腹は代えられぬ、と預けてしまう。

ようやく身軽になった身で、キオスクで水を買い、インフォメーションへ向かい、今夜の宿を捜す。まだ午前9時にもならない、朝食は水とリンゴ。
インフォメーションは片言ながら英語が通じる。希望の安い宿は、そっけない紙切れに住所がメモされる。さあ、これからが大変だ。 いつも残金を気にして両替したばかりのお金でローカルの電車に乗り、そのそっけない紙にメモされた宿へ向かう。確かにそこには気持ちだけベイカンシ(空きあり)とか看板がかかっていて、ホテルとは見えない普通のドアのベルを鳴らす。奥から、少しかっぷくの良いおばさんが満面の笑みで出て来て、何語だか分からないが、多分ウエルカムと言っているのだろう、言われるままに中に入る。「あんたの今夜の部屋は4階だよ」みたいな、想像だけで「OK, OK」とか返答する。

勿論エレベータもないし、おばさんの大きな後ろ姿を追いながら、それでも高級感を出したいカーペトの張られた階段をギシギシと上ると「ここよ」みたいな、息を切らせたおおばさんがドアを開けてくれる。大体、こっちが言葉が分からないのに話し続けるのが宿のおばさんの常套句だ。

「これで**は安いわよ」と言われていると思うけど。未だ言葉分からず。で、私は。紙切れとペンを取り出し、シャワーとそこから出る水の絵をかく。
「シャワー、シャワー」「ホット、ホット」とか言いながら、さわって熱いという演技をする。耳たぶをつまむのが万国共通なのか、まさか、考えてみたら「ホット」位どこの国にだって通じる、そうすると「もちろん、さわってみなさい」と、そのおばさんは自慢げに蛇口をひねる。確かにしばらくするとお湯が出て来る。
私は「good、good」とかいいながら「OK、ここに決めた」と握手して交渉成立である。
大体、シャワー付きとか言って、確かにシャワーはついているが、水が出ないシャワー付きの部屋に何度か泊まった。水が出た、と喜んだら、Hの蛇口をひねっても延々水だったりとか。夏と言えども、朝夕は冷える簡易ホテルで、これはお湯に違いない、と自分に言い聞かせて何度冷たいシャワーを浴びたことか。いやこれは冷水を浴びて、身を清めろ、という神のお達しだ、とか、散々な健康法を試したものだ。
(中略、次週につづく)

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