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『「見た目」で選ばれる人』竹内一郎(講談社)

「見た目」で選ばれる人

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「人は足元を見る」
弱みに付け込む以前に、人はどんな靴を履いているかを見る

まさに語源そのもので、足元は人の値踏みでもある

「人は、物は、布をまとって初めて本質が観える」

昔、クリスト氏に直接聴きました

裸でいるより、衣服を着ている方が、その人が観える

それが建物や景色に到るところが彼の真骨頂ですけど

人はその衣服と言うより、その「着こなし」で、その人の質が観えてきます

「そんな格好しないでしょ」

そんな「着こなし」しないでしょ

スーツも普段着も「着こなし」はその人の質を表すので気をつけねば

「夜ジムに行くと」

運動をやっていた人とやっていなかった人の見た目の違いはともかく、それでも、体を動かそうという共通の気持ちが一番大切ですが、一方で、この人は何を専門にしてきた人か、つまりはバスケかサッカーか陸上か野球か、バレーは少し分かりにくいのですが、靴とソックスで分かったりしますけど、基本的には、その着ているものではなく、その「着こなし」でその専門が分かったりします。ここで大切なことは、やっていたか否かというよりは、例えばサッカーの熱狂的なファンは、サッカーをやっている人と同じように、サッカーを知っていれば、ブルーのユニフォームの「着こなし」に表れます。これは、そのことをどれだけ知っているかが、その「着こなし」に出るということで、だから、**を知らない人は**のユニフォームが似合わない、つまり、着こなせないことになります。この場合、その人の質とは、どれだけ知っているか、どれだけ分かっているか、となります。

「スーツは社会のユニフォーム」

つまりは、スーツは社会を世間を知らないと着こなせないということになります。それに気がつくまでは、さらにこの世の中を心底知らないということになります。勿論、歩き方も表情も発言もトータルな意味での「着こなし」なので。

就活のスーツ姿が微笑ましいのは、世間を知らない着こなしだからで、就職して、しばらく経ってもスーツ姿が似合わない場合は、ただ単に世間を知らないからになってしまいます。

スーツが似合わなくてどうしましょう

ジーパンが似合わなくてどうしましょう

Tシャツが似合わなくてどうしましょう

ユニフォームが似合わなくてどうしましょう

スポーツウエアが似合わなくてどうしましょう

ある意味どうでも良いことですが

少なくともスーツについては、男女を問わず

年相応に似合わないと、逆にスーツに着られるようだと

その人の質が観え観えになる感じで

どんなに年を取っても

心身共にベストコンディションにせねば、と

同じ服装が段々似合わなくなって行く

同じ服装が段々似合って来る

その「着こなし」は内から出るもので

見た目で差がつく

些細なことで差がつく

その極意は、年を取ると少しずつ観えてくるもので

年を取っても観えて来ないと

何となく残念な人生ですよね

「本はタイトルが9割」のような話を3年前に書きましたが、それはそれで良いでしょう


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