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『災害がほんとうに襲った時─阪神淡路大震災50日間の記録』中井久夫(みすず書房)

災害がほんとうに襲った時

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「被災の周辺へのまなざし」

 1995年1月の阪神・淡路大震災当時、神戸大学医学部の精神科教授だった中井久夫は、自ら被災者としてあたった救援活動の切迫感あふれるドキュメントを、ともに活動したスタッフやボランティアたちと共著で、2か月後の3月24日に『1995年1月・神戸─「阪神大震災」下の精神科医たち』(みすず書房)と題して出版した。そのうち中井自身が執筆した文章と日記に、今回の東日本大震災をテレビ報道で見ての所見を書き加えて、薄手の本として編集し直し緊急出版(40日後)されたのが本書である(すでに3月20日最相葉月氏が、緊急に読まれるべき文章と判断して、著者の許可を得てネット上に電子データをアップしていた)。

 むろんすべての災害はそれぞれ異なった表情を持っていて、一般化することはできない。中井が冒頭で「最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという」(30頁)と書くように、阪神・淡路大震災は明け方に起きた都市の直下型地震だったため家屋の下敷きになった被災者が多かった。だが、今回は沿岸部の街を襲った大津波が最大の被害をもたらした。多くの被災者は海へと流されて行方不明のままである。だから前回の地震への対応を反省して作られた災害派遣医療チーム(DMAT)も、海外からの救援隊も、建物の瓦礫の下に埋もれる人を救出し、外科的に治療することを想定していたが、彼らが考えていたほど活躍することができなかったと報道されている。

 だから本書もまたそのままで、今回の被災地への救援活動に役に立つわけではない。いくら素早いとはいえ、すでに被災から40日以上が経過しての出版だ。緊急事態へのハンドブックとしては、手遅れだし、間が抜けているかもしれない。(日本社会の救援者たちへのロジスティクスの認識の弱さが本書で嘆かれているが、今回それが批判的に報道された分だけは認識が広まっていたとみてよいのだろうか)。だが逆に、手遅れの今だからこそ、そして現場で作業に専念しているわけではない周辺の人間たちにこそ、本書は役に立つと思う。じっさい中井の記録は、必ずしも迫真の被災記録やなまなましい緊急医療の活動を描いているわけではないからだ。

中井はむしろ自宅の被災が神のサイコロの気まぐれで軽度で済んでしまったために、ずっと「申し訳ない」という気持ちを抱いていたと正直に記している。しかも最初の2日間は、出勤する手段が断たれてしまっていたため、自宅に待機して電話でスタッフの安否確認に費やすだけだったという(奥さんを苛々させたらしい)。実際に修羅場で活動していたのは、当直医や大学近くに下宿する若い医師やナースらだった。その後もリーダーとしての中井は、決して前線で戦おうとするのではない。むしろどこまでも後衛の場にとどまって、そこで戦おうとする。避難所もあえて訪問しない。「酸鼻な光景を見ることは、指揮に当たる者の判断を情緒的にする」(74頁)からだ。そしてあくまでスタッフたちの活動の盲点を見つけ出しては、「隙間産業」に徹しようとする。そこが、本書が持つ独特の魅力である。

 では救援現場における隙間産業とは、どんな作業か。例えば、医師や職員が病院に渋滞を避けてたどり着くための詳細な手書きのルートマップの作成である(最初のバージョンではその手書きの地図が掲載されていたが、今回は削除されていて残念である)。職員の出勤率を向上させ、出勤の際の渋滞による消耗を軽減させることに貢献するからだ。あるいは各地から来たボランティアに、最初に箱庭と地図を使って、神戸の地理を詳しく説明することだ。知らない土地で馴染のない地名があたりを飛び交っている状態では彼らはうまく現地の人と協力でしあえないだろう。さらにはスタッフたちに腹いっぱい美味しいもの(神戸牛と明石鯛)を食べさせることであり、ガラガラの温泉旅館を彼らの休息のために予約することであり、応援に来てくれた医師に励ましの色紙を書いてもらうことであり、病院の庭にシンボルとして、オリーブの木を植えることだ。

 こうした中井によるスタッフの救援活動をさらに支援する活動は、精神科医としての臨床的な観察に支えられていると私は感じる。救援活動は一般論としてどうあるべきか、ということに彼の関心は向かない。神戸という街の独特の地理に応じて、この地震に被災している人々の固有の状況に応じて、さらには彼の病院で支援活動をしている人々の疲労の度合いに応じて、それらの刻々と変わる状況を冷静に観察したうえで、いまある状況を少しでも良いものにするための配慮を込めた働きかけをする。それはまさに神戸という街を精神病患者のように診断し、治療することに他なるまい。そうした状況の表情を読み取っていく、優しいまなざしに感銘をうける。

 ボランティアの重要性に関しても、中井はこの支援活動を通して理解したという。だからふつうの認識とはちょっと違っている。さあ助けるぞと勢い込んで駆けつけたもののすることがなくて所在なげな人々を見て、「『存在してくれること』『その場にいてくれること』がボランティアの第一の意義である」と言い続けたというのだ。予備軍がいてくれるからこそ、正規軍は余力を使い残さずに力を出すことができる、というわけだ。ここにも現場の周辺にいる人間たちへの、つまりは自分が無力であると感じている人々への優しいまなざしを感じる。こうした周辺部への優しさを広げていけば、周辺で被災して生き残った人々への、あるいはそれをテレビで見て無力感を抱いている、さらなる周辺の人々へと視線を向けることができるだろう。

 その意味でこそ、本書は普遍的な意味を持ち、いま読むことの意味を持つのだと思う。被災した人々を救援する活動のただなかから一歩引いた後衛の場所で、リーダーとして支援活動をまとめあげ、さらにその周辺にいる人々への配慮の眼を配り続けること。そのような実践的な活動を、その出来事の固有の状況に応じて中井久夫が為し得たこと。その事実が私たちを励ます。ついでに、この書評ブログで3月17日に紹介した、ソルニットのいう『災害ユートピア』が、震災後の神戸にあったという事実もまた本書では見事に描写されている。警官が取り締まる人間の顔をなくし、炊き出しの人間は相手が被災者かどうか確かめないし、タクシーの運転手が、人間がみんなやさしくなって今ほど安心して人を乗せられることはなかったと証言する。そうした柔らかい感情の共同体のありようを中井は「温かいメルトダウン」と呼ぶ(93頁)。むろん官僚的な石頭の持ち主がもっと石頭になってしまうという観察もきちんと冷静に記録されている。

 なお「東日本巨大災害のテレビを見つつ」という題の最初に置かれた文章は、やはりテレビを見ながら書かれたというとおり、何だか比べて読むと寝ぼけた文章のように思えて、いまの私の心にはあまり響いてこない。決してつまらないわけではないが、どこか評論家的である。これを読むと、やはり「災害がほんとうに襲ったとき」という16年前に書かれた文章が、実践のただなかで書かれた緊迫感に満ちたものであったことを改めて実感する。ぜひ昔の文章から最初に読むことをお奨めする。


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