『海のかなたのローマ帝国−古代ローマとブリテン島』(岩波書店)
本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。
かつて日本の西洋史学の大家が、自信をもって「近代をリードしたヨーロッパの歴史を紹介するのが、日本の西洋史学の役割だ」と言ったのを聞いた覚えがある。そのお蔭で、わたしたちはアナール学派などのヨーロッパの最先端の歴史研究の動向を、日本語で詳しく知ることができた。しかし、極論すれば、日本の西洋史学はオリジナリティのない「学問」という矛盾した研究分野であったことになる。本書は、オリジナリティがないどころではない。日本から新たな西洋史学を提案した、世界に誇れる一書である。
著者、南川高志は古代ローマ史が専門で、わたしの研究とはあまり共通点がないと思っていた。ところが、本書を読んで、学問としての歴史学や世界史認識を考える「同志」であると心強く思った。著者を脱皮させたのは、歴史を中央からではなく辺境から見る視点、文献だけでなく考古学的・美術史的にも考察すること、そしてイギリスにおけるローマン・ブリテン研究の歴史を学んだことだった。視野を広げた先の研究が充実していたことも幸いした。
ヨーロッパの博物館を見学すると、古代ローマ帝国の存在に驚かされ、いかにヨーロッパ各地に多大な影響を及ぼしたかがわかる。イギリスでも、古代ローマの遺跡が大切に保存され、人びとの関心が深い。しかし、イギリスにおける古代ローマにたいする積極的な評価は、昔からのものではなかった。1877年にインドを征服したイギリスが、「帝国」の継承者として古代ローマに関心を寄せるようになり、そのいっぽうでゲルマン系本家ドイツの現実的な脅威から古ゲルマンへの関心が薄くなっていった。イギリス帝国の出現が、近代イギリスのローマ帝国観をつくっていったのである。
それが、1990年代になって考古学的・美術史的考察から、「ローマ的生活様式を表面的に採用しながらも、実質的には従来の生活が継続していた」ことが明らかになった。著者は、「「海のかなたのローマ帝国」は、実態とは相容れぬ、「幻想」の帝国であった」と結論づけている。古代史研究者が、「「現代」を問題にせざるをえない研究」を意識した結果の結論である。そして、古代と現代の連鎖という「大きな歴史」が見えてきた著者は、さらにローマン・ブリテンの後半期、近代イギリスにおける好古家の活動、大陸の辺境属州の研究から、ローマ時代のありようの解明を展望している。頼もしい限りである。
このように「大きな歴史」が見えてきて、あの層の厚いヨーロッパ研究に果敢に挑んでいけるようになったのも、「極東の西洋史研究者にふさわしい」研究が見えてきたからだろう。著者は、「つねにローマ帝国全体の中で、さらには世界史の中でローマン・ブリテンを眺めているが、イギリス人研究者はまずローマン・ブリテンを見て、そこからローマ帝国やイギリス史の全体を考えているから」、実像が見えていないのだと指摘する。ナショナル・ヒストリーの克服が、内側からは困難なことを再確認させられる。しかし、著者がこのような研究ができるようになったのも、「極東の西洋史研究者」を受け入れ、研究に協力してくれた数多くのイギリスの人びとがいたからであろう。それだからこそ、日本語の本では異例の英文の謝辞を書くことになったのだろう。日本を含め、各国が自国でしか通用しないナショナル・ヒストリーを守ることをやめ、世界に研究の門戸を開いていくと、学問としての歴史学も自国史も発展し、より豊かで深い世界史を語ることができるようになるだろう。本書は、そのことを如実に示してくれた。
ところで、日本ではいまだにthe British Museumを大英博物館、the British Libraryを大英図書館とよんでいる。古代ローマ帝国の栄光を引き継ぐ権利をえるために、大英帝国the British Empireがかつて古代ローマ帝国の属州になりローマ化したという虚像を成立させたように、かつての日本も大英帝国と併記されても遜色ないように大日本帝国を名乗った。「大日本帝国」も「大英帝国」もなくなったが、博物館や図書館には、「大英」の名称が日本では残っている。もうそろそろ日本における「大英帝国」の残像は消してもいいのではないだろうか。これも、近代の遺産(亡霊)と思うのだが。
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