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『東南アジアの魚とる人びと』田和正孝(ナカニシヤ出版)

東南アジアの魚とる人びと

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 近代になって、流動性の激しい海洋民や遊牧民の世界が侵されつづけている。行動範囲が狭まるだけでなく、生活そのものが成り立たなくなってきている。その変化を利用して、一部の者が一時的に富むことはあるようだが、全体的にはあまり展望は開けていないように思える。しかし、その実態はあまりわかっていない。


 著者の田和正孝は、「長さがあれば長さを測る、重さがあれば重さを量る、数があるなら数えてみる」という基本的な方法のもとに、「ここ十数年、毎年のように島嶼東南アジアの海辺を歩いてきた」。なぜ、歩く必要があるのか、著者はつぎのように語っている。「近年、東南アジアの各国において漁業統計類の整備が進み、漁業をとりまく情報量は格段に増してきている。しかし、小規模漁業を調査していると、統計には反映されない漁獲と取引が多いことに気づかされる。統計の分析だけでは明らかにできないことが非常に多い。したがって、フィールドワークを通じて聞き取りをしたり、人びとの活動を観察したり、様々な測定をおこなったりすることが沿岸漁業を理解するための重要な調査方法となる」。いまだ、近代に侵されていない海の世界の領域が存在しており、それを明らかにしようというのだ。


 本書の構成と内容の要約は、「まえがき」でつぎのように簡潔にまとめられている。「本書は序論とそれに続く三部から構成される。序論では、東南アジアの沿岸漁業を読みとくために「漁業環境」、「漁業地域」、「資源管理」、「漁業技術」などのキーワードについて考えておきたい。第Ⅰ部は資源管理にかかわる問題を扱う。マラッカ海峡における漁業の背後に潜む「越境」という問題、そして南タイを事例に漁業者の地域固有の知識に基づいた資源管理の実態について分析する。第Ⅱ部は水産物がグローバリゼーションとローカライゼーションのはざまでいかにして動いているのか、そのことを、近年ブームになっている活魚流通と、半島マレーシアの塩干魚生産を通じて考えてみる。第Ⅲ部は変わる東南アジアの海辺を、半島マレーシアの華人漁業地区とフィリピンの内海漁村の変容過程からながめてみたい」。


 「フィールドノートとボールペン、メジャーとばねばかりを携え」た著者とともに歩む「東南アジアの魚とる人びと」に出会う旅は、たんなる局地的なものの発見だけではない。地球規模の現代の問題が見える旅でもある。環境、資源、国境、グルメなど、プチブル的思考(今風に言えば、セレブ的嗜好か)で日常生活している者が気づかない問題が、つぎつぎに目の前に展開される。そして、それらにたいする「漁業者の知恵」に驚かされる。しかし、それも市場論理や資源開発の前に、押しつぶされていく。「これまで調査した沿岸漁業地域の実情を報告した」本書から、著者はつぎのような結論を導き出している。「生産者と消費者との関係を一本の川にたとえてみた時、川下で消費生活をしている人びとと川上で生産をになう人びととは互いに影響を及ぼしあうはずである。そのことを認識し、川下の者が生産に直接関わる人びとの社会や生活様式を知ることは、地域を理解する糸口となる。それのみならず、様々なポジションで漁業に関わる人びとが、漁業に対して責任ある行動をおこすことにもつながるはずである」。


 「漁師と一緒に汗をかいてみないか」という生産者の求めに、著者はいまだ応じていないが、机上の学問を越えた生産者の声が聞こえてきたことは確かである。その声がどこまで消費者に届くか、どこまで先進国の消費者が日常生活を越えて考えることができるかが、問われている。


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