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『翻訳教室』柴田元幸(新書館)

翻訳教室

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 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 数年前に、もう英語の論文は書かないと決めた。時間がかかるわりにうまく書けないからで、時間を有効に使うには日本語の単著・単行本を書くことに専念したほうがいいと思った。本書を読んで、その決断は正しかったと思った。


 「バイリンガル」というとかっこいいが、そんなことできるのは、ほんとうに限られた能力のある者か、そういう環境にあった者だけだろう。本「翻訳教室」に特別ゲストとして登場した村上春樹が、自分の本を「自分で英語に翻訳してみたい」かと訊かれて、「翻訳というのはネイティブ・タングの人が母国語に訳すのじゃないと、ほとんど不可能だと思う」と答えているのも、いかに「バイリンガル」が非現実的なものであるかを知っているからである。そして、英訳された自身の本を読んで、原著を「筋だけしか覚えてないんで」、翻訳内容が「違っててもわからない」と語っているのも、翻訳された時点で、もはや原著とは違う翻訳文学という別のジャンルの作品になることを知っているからである。だから、翻訳家のなかには、「原著よりいいものができた」とほくそ笑んでいる者がいるはずだ。


 大学で英文講読の授業をしていて、はじめわからないことがあった。学部や大学院の英語の入試で同じような成績で入ってきているのに、英文が読める学生と読めない学生がいた。その割合は、非常勤講師で行くことのある英語を得意としている外国語大学の学生も同じだった。しばらくしてわかった。読めない学生は、訳すときにしきりに頭を左右させている。入試のような短い文章ならともかく、論文や本1冊全部を読もうと思ったら、こういう読み方は続かない。東洋史の学生には、「返り点をうって読むな」と言っている。本書でも、「語順についての大原則は、なるべく原文の語順どおり訳すということです」と強調している。漢文の返り点は日本語に置き換えるための作業であって、中国や韓国では上から順に読んで、返り点などうったりはしない。その時代の文語を、書いた順に理解しているのである。英文も書いた順に理解し、まず英文として理解することが基本である。本書での翻訳作業も、まず英文として理解し、つぎにそれに近い日本語の表現を探すということをしている。村上氏は、英文は理解できても、英文で表現することはネイティブ・タングの人にしかできない、と語ったのである。


 本書は、翻訳の技法だけでなく、仕事ができる人とはどういう人であるかも、教えてくれる。村上氏は、「朝の四時に起きて十時まで仕事をすることに決めている」「朝の四時に起きるためには夜の九時半ぐらいには寝なくちゃいけないんです」と語っている。夜の授業があるわたしは、そこまではいかないが、仕事をするには朝に限ると思っている。図書館でもどこでも、たいてい朝のほうが人が少なく、効率よく仕事ができる。村上氏が、長編小説を書くとき前もって日付を設定し、それまでに「ほかの細々した仕事を全部終わらせ」て、設定した日に書き始めるというのも、わたしと同じだ。朝型だろうが夜型だろうが、仕事のできる人は外部の雑音に惑わされることなく、仕事をする時間と睡眠をする時間を「確保」している。こういう人間で問題なのは、人づきあいが悪いことだ。でも、原稿の締め切りは守るので、出版社の人のうけはよくなる。だから、また仕事が来る。比較的短期間に書きあげることのできる論文なら書けるが、単著・単行本が書けないという人は、長期的な計画がなく、目先の雑事に追われて時間の「確保」が下手なことも一因だろう。「器用貧乏」といわれることもあるが、大局的に自分の仕事を理解していないからということもいえるかもしれない。


 本書の著者も、仕事のできる人だ。本「教室」でも、自分の感覚でわからない若い人の考えや女性の考えなどを、学生から学ぼうとしていることがわかる。仕事のできる人は、他人の話をよく聞く。それは、自分の欠点を取り繕うために、わかっているふりをするためではない。わからないことはいくら勉強してもわからないことがあり、それを素直に認めて、わかっている人の話を聞き、わかっている人はこういうふうに考え、理解しているということを学ぶためである。いっぽう、本書を読んでいると、東大生らしい(?)先生より自分のほうが優れていると示したがる学生が登場する。こういう学生は自分自身が成長できないだけでなく、その存在のために授業がやりにくくなる。演習・講読といった双方向型のゼミ形式の授業は、教師も学生もともに学ぶという姿勢が大切だ。著者のいう通り、「授業を活かすも殺すもまずは学生次第なのだ」。本「教室」では、村上春樹が登場するが、この「教室」の学生は実際に村上氏の本をかなり(量も深さも)読んでいて、具体的な質問をしている。名前だけしか知らないで、村上氏の本を読んでいない学生ばかりだと、村上氏の登場はさほど意味をもたなかっただろう。


 さて、本書を読んで、翻訳するなんて自分には無理だと思った人と、挑戦しようと思った人と、両極端に分かれたのではないだろうか。わたしは、無理だと思った。しかし、若い人や時間的に余裕のある人は、ぜひバイリンガルトリリンガル、・・・に挑戦してもらいたい。


 今年は、これでおしまい。たくさんの人が読んでくださっているようです。今年1年、ありがとうございました。みなさん、よいお年をお迎えください。 早瀬晋三   

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