書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『東南アジア年代記の世界-黒タイの『クアム・トー・ムオン』樫永真佐夫(風響社)

東南アジア年代記の世界

→紀伊國屋書店で購入



 

 本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。



 東南アジアを研究していると、一般の人から「そんな地域から、学ぶことはあるんですか?」という質問を受けることがある。本ブックレット《アジアを学ぼう》(読みっきり 学術最前線)は、「アジアの各地に留学し、現地の大学・研究機関で、或いは都市・農村での生活のなかで、さまざまなことを学び、考えてきた若い研究者が、その体験に根ざした最新の研究成果を広く日本の読書界に発信することをめざして発刊された」。本ブックレットを読んで、物質的な「豊かさ」だけが学ぶ基準ではなく、そこに生活する人びとの知恵や価値観に基づく心の「豊かさ」が、読者に伝われば、発刊は成功したことになるだろう。


 旧フランス領インドシナ各国から来た研究者に出会うと、世代によって研究用語がフランス語であったり、ロシア語であったり、英語であったりして戸惑うことがある。本書を読むと、学校教育においても、言語や文字において、混乱があったことがわかる。1895年以来、「ベトナム語と同じく声調言語である黒タイ語や白タイ語は」、仏領期に「ほぼ一貫してクオック・グー[ローマ字表記ベトナム語]に基づいて表記されようとしてきた。しかし、それが学校教育で採用されたのは、第一次インドシナ戦争(一九四六~一九五四)中の一九四八年から一九五四年にかけてである。この短い時期に、クオック・グーによるベトナム語教育は廃され、白タイ語ライチャウ方言のローマ字表記とフランス語教育が実施された」。フランス側の政治的意図がもたらした混乱であった。


 そのようななかで黒タイ文書は継承されたが、ターイ出身の学生でも、「言葉すら誰もまともに勉強しなかったし、本気になって文書を読もうという者」はいなかった。それが、本書の著者、樫永真佐夫が学び、黒タイ語ベトナム語による共著を出版したことによって、ターイ文字の学習がハノイ国家人文社会大学言語学部の必修にまでなったことは、本ブックレット「発刊の辞」にある「相互の信頼に支えられた人間的つながり」を「基盤としてはじめて可能になった」成果と言える。


 そして、著者が読破した年代記『クアム・トー・ムオン』、すなわち「ムオン(くに)を語る話」の分析結果は、従来とは違うものになった。著者は、『クアム・トー・ムオン』は、「首領をシンボルとしてその権威を最大限に活用し、巧妙に長老会が実権を維持するための政治的作品」であったと考え、平民階層である長老会が「支配階層の者たちの権力闘争をいわば高みの見物」をしていたからこそ、階層を問わず葬式で読誦されてきたのかもしれないと解釈した。従来の大国を中心とした王統年代記とは違い、少数民族の首領は絶対的権威に裏打ちされたものではなく、平民階層の支持があってこそ、その地位を保ち、平民階層もその首領の「弱み」を大いに利用していた様子がうかがえる。それは、盆地毎にムオン(くに)を築いていた東南アジア大陸部の山がちな生態系のなかで生まれたものかもしれない。本書で描かれた王統年代記からは、権力闘争に明け暮れた大国のものとは違い、人びとの生活に根付いた歴史認識が感じられる。


 本ブックレットの東南アジア関係では、井上さゆり『ビルマ古典歌謡の旋律を求めて 書承と口承から創作へ』が、すでに発行されている。本書とともに、博士論文が基盤になっている。このブックレットをきっかけに、読みごたえのある本格的な専門書が出版されることを期待したい。


 蛇足だが、東南アジアから学ぶということは、時間のかかることだ。本書の著者も、1971年生まれで、もうけっして若くはない。いま、日本の大学では、20歳代で博士論文を書くよう指導しようとしている。そんな性急な指導では、本書のようなその社会に根を張ったうえでの研究成果は出てこない。どのように段階的に論文を執筆し、本書のようなレベルの高い成果を出せるように指導するのか、日本の大学院教育のあり方を考える時期に来ている。

→紀伊國屋書店で購入