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『自然災害と復興支援』林勲男編著(明石書店)

自然災害と復興支援

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 何気なく見た索引のトップが、「空き家」だった。通常、索引に取り上げられない「空き家」があることで、この本はこれまで読んだ本とどこか違うと身構えてしまった。


 全執筆者16人の専攻は、つぎのように紹介されていた(複数あげられたものは、最初のものだけにした):地域防災、人類学、都市防災計画、社会心理学、防災研究、文化人類学、タイ地域研究、人文地理学、都市社会学、東南アジア地域研究、防災地震学、南インド考古学、建築学、防災計画学、建築計画学、イスラム教圏東南アジア地域研究。似たものはあるが、まったく同じものはひとつもない。これだけ専門の違う人びとが、いっしょになって取り組んでいるのが、2004年暮れに起こったインド洋地震津波災害からの復興支援で、本書はその現地報告書である。


 本書は、また、国立民族学博物館の機関研究『文化人類学の社会的活用』「災害対応プロセスに関する人類学的研究」の一環として開催された研究フォーラムの成果をまとめたものでもあり、フォーラムは「災害や防災の研究者、地域研究や文化人類学の研究者、被災地支援に従事するNGO/NPO関係者や行政担当者、マスコミ関係者、そして被災地の現状に関心を寄せる一般市民など、非常に多くの方々の参加を得て計三回開催された」。したがって、本書の執筆者は、自分の役割を相対化したうえで書いている。また、執筆者のなかには、阪神・淡路大震災新潟県中越地震後を経験している者もいる。しかし、本書全体を読んで、それらの経験がいかされているとあまり感じなかったことが、問題の難しさをあらわしている。


 本書は、第1章の総論の後、災害地域ごとにスリランカ3章、南インド1章、タイ3章、そして震源地に近いバンダアチェ8章からなる。それぞれが専門性をいかして、初期の人命救助・救援から復興・発展へと懸命の努力が伝わってくる。「総論」ではその連接をつぎのように説明している。「災害過程は、災害発生前の準備・警戒期、発生前後の緊急期、発生後の復旧・復興後の連鎖である。発災を受け、緊急・応急対応処置が被災地内で、あるいは被災地外の国内外から提供され、次の復旧・復興の段階に移っていく。「復旧」とは文字通り「旧に復す」、すなわち災害前の状態に復帰するための対応活動のことであり、災害によって破壊された施設や機能を元の状態に戻すことである。それに対して「復興」とは、災害前と同じ状態に戻すのではなく、それ以上の暮らしと環境を再建していく活動のことである」。


 わたしたち日本人の常識としては、まず災害前の状態に戻す復旧を優先的に考えてしまう。しかし、そう単純ではないことが、最後の東南アジア地域研究者による2章からわかる。「かつて海によって世界の人びとと繋がることで発展を遂げていたアチェの人びとは、紛争などによって長く外部世界から閉ざされていたアチェ人道支援を通じて再び世界各地と繋がったことを歓迎した」。その海を通じた流動性が高い社会は、元に戻ることより新たなコミュニティの形成・再編をめざすいっぽう、外部世界からの支援にも応えようとした。その結果が、「復興住宅の空き家」だった。日本での経験があまりいかされないのも、このあたりに原因がありそうだ。


 支援団体が戸惑っている様子は、つぎのように報道された。「外部からの支援団体が実施する住宅再建事業に対し、ジャワの人びとは自分たちも相互扶助によって労働を提供し、支援者に感謝の意を忘れないのに対し、アチェの人びとは人を雇い、しかも支援者に注文をつけるといった具合である。国連ハビタットが製作した映画『象の間で戯れる』でも、支援団体の意向どおりに動かないばかりか、支援団体に様々な注文をつけ、時に支援団体の足元を見透かしたような交渉を行うアチェの人びととそれへの対応に苦労する支援団体の様子が描かれている」。定住農耕社会のジャワの人びとの言動は理解できるが、流動性の高い海域社会に属するアチェの人びとの言動は理解できず、支援団体は振り回されたのだろう。さらに、被災者が被災地区から移動し、被災していない人びとが被災地区に流入してきて、支援団体はだれに支援していいかわからなくなったことだろう。


 ふたりの東南アジア地域研究者は、それぞれ「結び」の部分で、自分なりの回答を述べている。まず、山本博之は、「復興住宅に空き家があることにはさまざまな理由がある」が、最も大きな理由は、「被災前から土地と住宅を所有していた人かその家族や親戚にのみ復興住宅を供与するという復興事業の方針のためである。小中学生や遠隔地で暮らしている家族が住宅の所有者になっていたり、住宅を所有する若い単身者たちが共同生活を送っていたりするため、復興住宅が誰も住んでいない状態に置かれることになる」。「アチェの復興過程で特徴的なのは、被災前の居住場所に戻る復興や、被災前の職業に戻る復興という方向に必ずしも進んでいないことである。支援団体の多くは被災にのみ目を向けて、被災前に戻すという発想で支援事業を展開しようとする。これに対し、被災者は被災からの復興をいろいろな意味で変革の機会として捉え、被災前の状況に戻すことを唯一の選択とは見ていない。そのため被災者たちは、一面では自分たちが支援事業の対象とされるように支援団体が望む枠組みに自分たちを合わせながらも、別の面では支援団体やドナーの思惑を超えて、自分たちが被災前から抱えていた課題にさまざまな方法で対応しようとすることになる」。


 つぎに西芳実は、「研究者が被災前の社会の理解を持ち出したときに、社会を固定的に捉えて被災後の社会に適用しようとすると、再建・復興の方向を被災前の社会をモデルとしたものに固定化することにつながりかねず、被災前の社会が抱える問題を再生産することにもなりかねない」と指摘し、「同様に、被災社会の特徴を捉える際に、宗教や民族性、親族構造や慣習法といった文化的社会的要素をどのように扱うかについても注意が必要である。やや極端な言い方をすれば、宗教や民族性が人びとの行動を規定しているとするのではなく、宗教や民族性を掲げた語りを通じて人びとが何を表現しようとしているのかが重要である。アチェの社会・文化を十分に理解しようと努力した上で、一般的な理解とずれて見える人びとのふるまいに注目して、そこに彼らが込めた意味を読み解こうとすることが、降りかかった状況に対応しながら日々の実践の中で自分たちのあり方をよりよくしようとする人びとの創意工夫を汲み取ることになるためである。その意味で、アチェを研究対象としてきた地域研究者として、被災とそれへの対応を通じてアチェの人びとが世界に発信するメッセージを今後も受け止めていきたいし、そうすることで、二〇〇四年スマトラ島沖地震津波という未曾有の災害が人類史上に持つ意味についても考え続けることになるだろうと思う」と結んでいる。


 復興支援は、支援する側のためにあるのではないことは、だれもがわかっている。しかし、現実は、「支援合戦」をし、「実績」を残したと自負して、短期間で引き揚げる国・団体は少なくない。事後調査では、空き家が多いことなどが問題になったりする。だが、空き家をなくすことが成功ではないだろう。まったく同じ自然災害が起こることはない。たとえ起こったとしても、それを受けた地域社会の状況が違う。当然、災害後の対応の仕方も、千差万別になる。時間がたつにしたがって、必要なものも変わってくる。過去の経験はいかされるが、それにこだわることはできない。とすると、人命を救うために一刻も早く現地入りして救助・救援をおこなう体制を整えることのつぎにくる復興支援に必要なものは、現地の人びとの「声」を聞く「耳」だろう。それは、自分たちが被災したときに、だれになにを聞いて欲しいかにつながる。災害を他人事と捉えず、自分が被災したときのことを考えることによって、被災者の立場になれる。


 最後に、本書そのものについてひと言。本書はけっして読みやすいものではなかった。多くの章が、調査報告書に近い内容になっている。報告書は報告書として出版し、一般書として理解してもらおうとするなら、編著者が代表してひとりで書くべきだっただろう。いろいろな専門家が、それぞれに活躍していることはわかったが、全体像がいまひとつよくわからなかった。


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