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『「戦争経験」の戦後史-語られた体験/証言/記憶』成田龍一(岩波書店)

「戦争経験」の戦後史-語られた体験/証言/記憶

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 本書は、「序章 「戦後」後からの問い」で問題提起した後、時系列的に4つの章に分けて、「戦争そのものだけではなく、帝国-植民地関係をめぐっての体験/証言/記憶についても、考察」したものである。4つの時代区分は、実際に戦争状態だった「状況」(1931-45年)に続いて、「体験」(1945-65年)、「証言」(1965-90年)、「記憶」(1990-年)の3つをキーワードとしている。それぞれの章では、その時代を代表する出版物を紹介し、特徴をあきらかにしている。なじみのある著者名や書名がならび、読者はそれだけで安心して戦後日本社会論に入っていける。


 著者、成田龍一は、「おわりに」で、「「戦争責任」の自覚も決して充分とはいえないが、「植民地責任」はいっそう無自覚に検討されないままとなっている」とし、両者の関係をつぎのように述べている。「「戦争責任」と「植民地責任」は、まったく切り離されたものではなく、相互に規定しあい重なりあっていることに注意を促したい。「戦争責任」の議論が前面に出されるのは大日本帝国アジア・太平洋戦争の敗戦とともに崩壊したためでもあるのだが、そもそもアジア・太平洋戦争はそれに先立つ植民地領有と切り離しては考えられない」。


 そして、「この二つの責任を包括する概念として「帝国責任」ということを考えたい」と主張し、つぎのように本書を結んでいる。「戦争責任と「植民地責任」-「帝国責任」という問題系から、「体験」-「証言」-「記憶」と推移してきている戦争経験の議論をいま一度合わせ鏡のようにして考察すること。このことが、あらたな課題として浮上するということができよう。一九三一年九月の「満州事変」により、アジア・太平洋戦争が開始されてから八〇年に及ぼうとしている。一九四五年八月の敗戦からでもすでに六五年がたつ。いまや、「戦争経験」が「記憶」からさらに歴史とされてゆく時期に差し掛かっており、アジア・太平洋戦争の戦争像をめぐる対抗や抗争はさらに続くであろう。戦後の過程を踏まえた「戦争経験の戦後史」を考察した理由はここにある」。


 「体験」「証言」「記憶」をキーワードとして、よく整理された議論は、「戦争経験」の語りの「変遷を通して、戦後日本社会の特質を浮き彫り」し、基本的知識を提供してくれている。その基本をもとに、さらに個別に見ていくと、戦後日本社会のなかで苦悩した個々人が浮かびあがってくるだろう。戦中の戦争論は、統制された集団としてのものが中心であるから、代表的な作品を通して議論することにあまり問題はない。ところが、戦後に書かれたものでは、集団としての「体験」と個々人の「体験」とがあまりに違いすぎる。とくに軍隊としての統制がとれなくなった敗残兵の個々人の体験は千差万別で、「公刊戦史」や「通史戦史」で取りあげられることはない。ましてや、教科書など共通の歴史認識となるものに記述されることはない。本書で代表的な作品として取りあげられ、議論されたものは、集団としての「体験」を語りやすい「引揚げ」「抑留」「沖縄戦」であり、知識人が書いたものである。フィリピン戦線だけですくなくとも1300はある「戦記もの」のほとんどは、このような知識人が書いたものではないし、集団としての「体験」に納得がいかないからこそ書かれたものである。それぞれの状況があまりに違い、とても集約して語ることのできない戦争体験と、それを引きずった戦後史は理解しにくく、論理的に議論することが難しい。そして、最大の問題は、このような知識人を代表とする戦争論が、「戦争責任」「戦後責任」をあきらかにする戦後処理のために充分でなかったことである。そのために、日本では「戦後」が終わらない状況が続き、いまだに「戦争責任」「戦後責任」が問題となっている。歴史化した単純・一面的な語りから抜け落ちるものの意味を考察の対象としなければ、日本の戦後は終わらず、新たな「戦前」がはじまる。


 本書では、「空間的には「国史」ではなく、アジア史の射程でアジア史を書き換える試み(「日本」を主語としないこと)、境界を越える動きの発掘(植民地研究のあらたな動向でもある)との連携を図ること」と述べながら、日本が植民地とした東アジア以外のアジアが、あまり念頭にないようである。海外で戦死した日本人は240万と推定されているが、大まかにいって地域は中国、東南アジア、南太平洋に3分される。日本人戦死者よりはるかに多くの戦争に巻き込まれた民間人の死者を出した東南アジアからの「語り」は、本書には現れない(たとえばフィリピンでの日本人戦死者10万ないし52万にたいして、民間人を含むフィリピン人は110万)。「空間」をいうなら、日本がつくりだした「戦争空間」(「大東亜共栄圏」)全体を見渡して考えねばならないだろう。シンガポールより南の地域のない「本書関連地図(1944年頃)」が「序章」の前にあるが、「空間」的にはこの地図が本書の限界をあらわしていることになる。


 帝国日本を中心に考察したためか、ヨーロッパ戦線や帝国ヨーロッパ諸国と植民地との関係がおろそかになったことが、日本の「アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどへの宣戦布告」ということばにあらわれた。アメリカ、イギリスにたいする宣戦布告ははっきりしているが、フランス、オランダにたいするものは、日本がそれぞれ本国と途絶した植民地(インドシナ、現インドネシア)を戦場としたため、そう簡単ではない。フランス、オランダは日本の同盟国ドイツに1940年に占領されており、フランスはイギリスに亡命した政権と親独派のヴィシー政権に分裂した。日本は、同年6月のドイツのパリ占領をうけて、9月にインドシナに進駐し、フランス植民地政府と共同統治をはじめた。その状況は、1944年に連合軍によってフランスが解放され、翌45年3月に日本軍がクーデタを起こすまで続いた。いっぽう、オランダは中立宣言をしていたにもかかわらず、戦略的に重要な位置にあったことから1940年5月にドイツ軍に占領され、政権・王室はイギリスに亡命した。しかし、日本にたいしては、中立を破棄して宣戦布告をした。


 本書は、整理された議論が説得力をもって展開されているため、わかりやすかった。それだけに、わかりにくく収拾がつかないはずの戦争論が、このような理解だけでいいのかという疑問が浮かんだ。「戦争から遠ざかるにつれて変容していく「戦争経験」の語り」は、代表的な作品だけに語らさせると画一化していく。戦争体験者がいなくなり、画一化した語りが歴史化すると、個々人の体験は無視される。戦争の抑止力として「戦争」を語るなら、個々人の「戦争経験」から得られるものを大切にすべきだろう。なぜなら、戦争は、集団の利益を優先して個人に犠牲を強いることからはじまる。個々人を尊重しひとりの犠牲者も出してはならないと考えるなら、戦争ははじめようがないからである。

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