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『イスラーム 知の営み』佐藤次高(山川出版社)

イスラーム 知の営み

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 本書は、全国的な共同研究「NIHU(人間文化研究機構)プログラム イスラーム地域研究」の成果を、できるだけわかりやすくした「イスラームを知る」シリーズの最初の1冊である。それだけに、イスラームの基本中の基本が要領よくまとめられている。



 このシリーズが出版された背景については、表紙見返しでつぎのように説明されている。「イスラーム教徒の考え方や行動の様式は、日本人の場合とはかなり異なっている。そこにイスラーム理解の難しさもあるし、同時にイスラームを知る意義もあるといえよう。現代の私たちは、グローバル化したイスラームの宗教や文明に向き合い、これをさらに深く理解する必要に迫られている」。


 著者、佐藤次高は、「イスラームの誕生から現代にいたるまでの「ムスリムによる知の営み」の諸相をたどってみることにしたい。歴史的な考察の仕方を活用することによって、「イスラームとは何か」をわかりやすく解き明かすことが本書のねらいである」としている。その前提として、グローバル化が進んだ現在において、「イスラームを統一性の面だけから考えるとすれば、その理解は著しくバランスを欠くことにもなりかねない。イスラームは、地域の枠をこえて拡大していったが、その過程で各地域の伝統や文化と融合し、さまざまに変容をかさねていったからである。したがってイスラームを正しく理解するためには、地域の個性を考慮に入れながら、統一性と多様性の両面からアプローチすることがぜひ必要である」と考えている。


 たしかに、「第1章 イスラームの誕生」から、時代順に「第2章 イスラームとは何か」「第3章 歴史のなかのイスラーム」「第4章 イスラームの知と文明」「第5章 イスラーム変革の努力」と、わかりやすい説明がつづく。クルアーンコーラン)は、「元来は「声を出して読むもの」を意味していた」、「イスラームへの改宗の手続きは簡単である。二人以上のムスリムの証人を前にして、「アッラーフ以外に神はなく、ムハンマドは神の使徒であることをわたしは証言します」といえば、それでムスリムになることができる」、アラビア語は金貨・銀貨に刻まれた文字であり、帝国の行政語、商取引の共通語、そして学問の言語でもあった、というふうにイスラームを理解する基本が語られている。また、「イスラームは異教徒であれば、だれでも殺してよいと主張している」とか、「コーランか、剣か」とかいう俗説を改める必要を説いている。さらに、これほど栄えたイスラーム文明が、ヨーロッパ文明に追い抜かれた理由を、「ヨーロッパがイスラーム文明の成果を積極的に吸収しようとしているあいだに、西アジアムスリムたちはヨーロッパ文明にはほとんど興味を示さなかった」からだとしている。


 最後に、著者はイスラーム世界の現状を、つぎのように説明して、結んでいる。「急進派から穏健派まで、その組織と活動は複雑多様であるが、まずは穏健なムスリムが圧倒的多数を占める現実を踏まえたうえで、これらの多様なムスリムが発するメッセージと彼らの行動の原理を偏見なく解き明かすことが必要であろう」。


 読み終えて、なにか物足りないと感じた。歴史的な流れはわかったのだが、それぞれの時代、それぞれの社会が、今日とどう結びついているのかがよくわからなかったためだ。「その組織と活動は複雑多様である」のは、それぞれがどこかの時代、どこかの社会と深く結びついているからで、それがわかれば、より「多様なムスリムが発するメッセージと彼らの行動の原理を偏見なく解き明かすことが」できるのではないだろうか。


 それにしても、100頁にも満たない本が、本体1200円もする。歴史を学ぶのに、これほど金がかかるのか。自分で購入した本は書き込みができ、頭に入りやすくなる。本は消耗品である。できるだけわかりやすくした本シリーズも、書き込みもできない、折り曲げてもいけない図書館の備品として読むと、わかりやすいものもわからないものになってしまう。本の値段を安く買えるようにすることは、人材育成にとって大切なことだと思う。高いから買わない、買わないから高くなる、買わないから読まない、読まないから本の価値がわからないから買わない、の悪循環に陥っている。とくに人文・社会科学系の学生・大学院生が、本をただで買えるための制度を設けることはできないのだろうか。

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