『イスラームへの回帰-中国のムスリマたち』松本ますみ(山川出版社)
「そんなテーマなんてそろそろやめて上海の近代史研究にでも本腰をいれなさいよ。大体、沙漠ばかりの貧しい西北の研究なんかして何かいいことでもあるんですか」と、「中国の民族・宗教問題を研究している」著者、松本ますみに、「ご親切に」忠告してくれる人がいるという。本書で取りあげる「中国のさいはて西北」のイスラーム教徒(ムスリム)の女性は、「イスラーム(宗教)、ジェンダー、エスニシティ、伝統、貧困という階層の問題が複雑にからみあっている」社会で生活している。現代社会のさまざまな問題を考察する事例として「好条件」が揃っている。ということは、当事者である人びとは、その苦悩に喘いでいるということである。
「本書ではとくに、女性のためのイスラーム宗教学校(本書では「女学」と略す)とそこに集うムスリム女性たち(ムスリマ。アラビア語でムスリムの女性形)に注目して、現代中国におけるイスラームへの回帰現象と、女性の能力開化、自信回復・自立について考えていく」という著者は、具体的につぎのような疑問に答えていく。「女学は誰がどのような動機でつくったのか。公立学校とはどう違うのか。なぜ女性たちは女学を選んだのか。彼女たちはなぜイスラーム信仰を心の拠り所にしているのか。なぜ彼女たちはヴェールをかぶっているのか。現政権の政策との矛盾はあるのかないのか。また女性たちは女学をどう考え、どう自らの権利拡大に利用しているのだろうか」。
これらの答えは、「現代中国の民族政策、宗教政策、教育政策のあらましとその問題点について」説明する「第1章 中国の民族政策とイスラーム政策」と「第2章 中国のさいはて西北」につづく、「第3章 女学という選択」と「第4章 女学の学生、教師に今」で詳しく述べられている。とくに今日の問題については、第4章のつぎの見出しから想像できる:「二十一世紀の女学の隆盛」「イスラーム的女性をめざす教学内容」「ヴェールとイスラーム知識のリンケージ」「再解釈されたイスラーム主義」「女性のエージェンシー」「ジェンダー、宗教、エスニシティ、貧困、モダニティ」「女学 その脆弱さと周縁性」。
そして、最後の「イスラーム・フェミニズムの実験」で、総括している。「西北の女学は一九八〇年代以降、公立学校に行けない失学女児の補助教育機関として誕生した」。その後、「政府の世俗主義にもとづく義務教育の整備が達成され」たにもかかわらず、「女学は生き残り、それどころか数をふやしている」。「現在の女学は九年間の義務教育修了者や義務教育中退者まで受け入れている」。「女学は周縁化されたムスリマのためのセーフティネットであり、職業訓練校でもあり、アイデンティティを確認する場所でもある。そこで彼女たちは思いもよらないジェンダー観を与えられる。それは無条件に厳しい競争を勝ち抜くように貧困女性を駆り立てる公的男並みジェンダー平等を否定する。この「新しい」ジェンダー観はアッラーの教えを家庭で次世代に伝えるべく「賢妻良母」になることを教える」。そして、「彼女たちはあえて男性への服従をよしとし、家のなかの妻と母の役割を重視するイスラームの体系のなかにとどまる。とどまることによって女性への差別を解消し、同時に男女平等が保障された中国国内の法秩序のなかで経済力をつけ、発言力をつけ、家父長制と社会主義的無神論の原則を当然視する風潮に抵抗していく」。「イスラームに篤い信仰心をもつこと、そして宗教的にも実利的にも役立つアラビア語の知識は、ムスリマたちに自信を取り戻させ、自存の念を与える」。
最後に、著者は力強く、「本質的属性である「性」を逆手にとって、差別を解消し、今世と来世でのよりよき生を求める女性弱者たちの姿がここにある。そして、これこそが世俗主義と市場経済、グローバリゼーションの狭間でムスリマたちが交渉しつつ生きる道である」とエールを送っている。それは、「そんなテーマなんてそろそろやめて」と、「ご親切に」忠告してくれる人への著者自身の応えでもある。