『歩いて見た太平洋戦争の島々』安島太佳由著、吉田裕監修(岩波ジュニア新書)
本書は、岩波ジュニア新書『日本の戦跡を見る』(2003年)の続編である。同時に出版された写真集『消滅する戦跡-太平洋戦争激戦の島々』(窓社)をあわせて見ると、よりリアルに著者、安島太佳由の言わんとすることが伝わってくる。著者は、2010年よりプロジェクト「若い世代に語り継ぐ戦争の記憶」を立ち上げた。
プロジェクトを立ち上げた理由を、著者はつぎのように「あとがき」で語っている。「感受性が強く、知識を学び取ろうとする意欲がある一〇代のときに、生きた歴史を学ぶことは、とても大切だと私は考えます。そのとき脳に記憶されたものは、後のちになって何かのきっかけでよみがえってくることがあるのです。実際に私自身がそうでした。小学生のときに先生から聞いた太平洋戦争やベトナム戦争の話が、現在の活動にいろいろなかたちで活かされています。私はそこで受け継いだ記憶や感じた気持ちを大切にしながら、書籍の出版や写真展、講演会などを通して若い世代に「戦争の記憶」を語り継いでいきたいと思っています」。
「一九九五年、戦後五〇年の年から始めた」著者の「ライフワーク「日本の戦争」は、東京に残る戦跡を振り出しに、四七都道府県の戦跡を訪ね歩くに至りました。そして日本の戦跡の取材に一区切りつけ、今回の太平洋戦争で激戦地となった島々の取材に入りました。取材を通して、改めて戦跡を歩いて見る大切さを実感しました」。「次なる旅は、中国、台湾、朝鮮半島などのアジア諸国に移っていきます」。
著者に「日本の戦争を知る旅はまだまだ終わりません」と言わせるのは、日本の戦後がまだまだ終わらず、その悪影響が子や孫どころか、曾孫まで及びかねないからである。そのことを著者は、つぎの旅でさらに具体的に知ることになるだろう。
本書は、第1部「硫黄島」の後、第2部「南太平洋の激戦の島々」ガダルカナル島、ラバウル、ニューギニア東部、ビアク島、トラック諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島-ペリリュー島、フィリピンと続く。第1部では、小笠原諸島の父島、母島の中学生たちが、「硫黄島移動教室」という課外学習として、慰霊祭に参加している様子を伝えている。そこでおこったハプニングが、参加した中学生に戦争を実感させた。「午前中の慰霊祭が滞りなく終わり、お昼休みになりました。昼食を終えた中学生の一人が、草むらで何か鉄のかたまりを見つけだし、それを放り投げて遊んでいたのです」。「その鉄のかたまりが小さな不発弾だったから周りは大騒ぎになりました。すぐさま、不発弾処理のために自衛官がきて対応し大事にはいたりませんでしたが、突然起こった騒ぎに一番驚いたのは当の本人だったでしょう。先生から怒られていた中学生のしょんぼりした顔を、私は今でも忘れられません」。
沖縄では、いまでも那覇の繁華街でさえ不発弾などが見つかることがある。沖縄に住む人びとにとって、日常生活でも戦後は続いている。この小笠原の中学生や沖縄の人びとが日々体験していることを、ほかの人びとがどう共有するかが大きな課題だ。本書でも、日本人観光客が多く訪れるグアムやサイパンで、戦跡を訪れる観光客は少なく、トーチカや大砲があるのにも気づいていない様子が書かれている。トラック諸島は、日本軍の沈没艦船が多いことから、世界中のダイバーの人気スポットになっているが、日本人は少ない。「三〇を超える沈没船や墜落機が眠っており、さながら世界最大の「海底博物館」」になっているのに、戦争関連となると日本人は避けて興味を示さない。
若い世代が戦争の話をすると、「右翼」だと思われ、会話が途切れるという。反戦のために戦争について考えようとしても、いろいろな考え方があって、なかにはほかの意見を攻撃するものもあるため、なにがなんだかわからなくなって、興味をなくす者もいる。いま大切なのは、まず興味をもち、戦争について自由に話すことができるような環境をつくることだろう。戦争については、思い込みから曲解したり、勘違いをしたり、なかには意図的に事実をねじ曲げて自分勝手な主張をしたりする者がいる。そういう人びとがいても、それを糺す環境があれば、戦争を語ることが平和な社会を目指すという共通の目標に向かっていることが確認でき、建設的な話になっていくだろう。そういう環境づくりのためにも、著者の「若い世代に語り継ぐ戦争の記憶」プロジェクトに期待したい。
著者は、「私の役割は、一人でも多くの中学・高校生たちに、戦争について知ってもらうために活動することです」という。見て読むことで、関心は高まる。小学生の読書量が増えているのに、中学・高校生の読書量は減っている。中学・高校生が読書をする習慣を身につけることが、戦争についてだけでなく、若者を社会と結びつけるきっかけとなる。