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『日本帝国をめぐる人口移動の国際社会学』蘭信三編著(不二出版)

日本帝国をめぐる人口移動の国際社会学

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 時代は確実に変わってきている、まずそう思った。「二〇世紀前半に主として日本帝国の形成と崩壊に伴って生じた人口移動の様々な動きを理解することは、一筋縄ではいかない企てである」。それを可能にしたのは、編著者である蘭信三の実力とリーダーシップ、人柄であることは言うまでもないが、東アジアをひとつの歴史空間として理解しようとする時代背景があるからだろう。


 一筋縄ではいかないことを、編著者は、「序」でつぎのように述べている。「そこでの人口移動のベクトルは、...(略)...内地から外地や勢力圏への一方向的なものではなく双方向的なものであったし、もちろん植民地間の移動や植民地と勢力圏間の人口移動も存在していたからだ。またそれは、移民や植民や避難民だけでなく、引揚げや送還や「残留」そして「密入国」という複雑な人口移動の形態をとっており、さらには、人口還流、その後の再移動も展開されていたのである。したがって、それらの様々な要因、様々なベクトルをもつ人口移動が互いにどのように連関しているのかを総体として捉えることは、まさに至難の業なのである」。


 本書は、2005年3月に開催された日本移民学会ワークショップの報告書が基になっている。その後、本書を具体的に構想したときに、つぎの問題が明らかになった。「満洲と台湾に関してはある程度の水準を維持していましたが、朝鮮、樺太、そして南洋が十分ではない状況でした。しかも、この領域を勉強するなかで、近現代東アジアにとって清朝の衰退とロシア帝国の進出と崩壊、何よりも日本帝国の形成、膨張そして崩壊という三つの帝国の盛衰が大きなポイントとなっており、近現代東アジアにおける人口移動はまさにそれらに規定されていたことをはっきりと理解しました。その象徴的存在が、朝鮮人の人口移動であり、かつ朝鮮をめぐる人口移動である、と考えるようになりました。そして、その矛盾は済州島四・三事件」と日本への「密航」に集約されていること、また満洲への朝鮮人の大きな流れにも見られることを知りました」。


 「他方で、内地を見てみれば、ハワイ移民、北米移民、南米移民そして台湾、南洋さらには満洲への移民という日本近代の移民・植民政策は沖縄(琉球)からの出移民・出稼ぎに集約されており、そこから近代日本の人口移動がより鮮明に照射されることを理解しました。とりわけ、本書では沖縄(琉球)と台湾間の移動、沖縄(琉球)から南洋への移動は、ある意味で内国植民地であった沖縄(琉球)と新たな植民地・勢力圏との多方向的な移動であることを明らかにしています」。「このことは、日本帝国をめぐる人口移動が、勢力圏の膨張に伴う内地から外地への人口移動(植民)や、東京や大阪という帝国の中心への植民地からの人口移動だけが生起したのではなく、朝鮮から満洲、沖縄と台湾間の移動、沖縄南洋間の移動といういわば周辺間における人口移動も含めて多様な様相が展開されていたことを示しています」。


 編著者の努力によって、ワークショップの報告書で「決定的に欠けて」いた部分、とくに朝鮮関係は補うことができた。しかし、編著者自身が「序」の「6 おわりに-残された課題」で指摘しているように、「研究は始まったばかりで、多くの課題が残されたままである」。そして、この領域の研究は、「日本ばかりでなく、韓国、中国、台湾においても同様の問題意識で研究プロジェクトが活動している」。日本とは違った視点での成果が出てくると、東アジアのなかの日本の姿も、また違って見えてくるだろう。残念なことは、南洋、樺太の現地からの視点の研究が充分でないことだ。とくに東南アジア各国は、経済力が上がってきているにもかかわらず、日本との関係史の研究はあまり進展していない。中国、韓国ばかりでなく、東南アジアからの留学生が増えると、この分野の研究も進展があるかもしれない。事実、中国や韓国からの留学生で、日本との関係史を研究テーマに選ぶ者は少なくない。


 本書は、多様な地域だけでなく、歴史学、地理学、人類学、社会学といった多分野の、多数の研究者が活発な討論を繰り広げた成果である。本書を読むと、国より小さな地域や国境を越えた地域間の人口移動が、より具体的に明らかになったことがわかる。だが、マクロなレベルでの理解は、編著者ほか執筆者の少数に留まっているように感じた。ミクロとマクロが絡みあってシンクロしていくには、まだすこし時間がかかりそうだ。また、本書のタイトルにある「国際社会学」の「国際」が、本書にはあわないと感じた。「国際」という考え自体、近代の遺物となろうとしているなかで、本書執筆者の多くが、国とは別次元で、人びとのいとなみを理解しようとしていると感じたからである。

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