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『日本人のアジア観の変遷-満鉄調査部から海外進出企業まで』小林英夫(勉誠出版)

日本人のアジア観の変遷-満鉄調査部から海外進出企業まで

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 著者が本書を執筆した思いは、「あとがき」のつぎの文章によくあらわれている。「日本とアジアの人々の歴史的「和解」を進めるには、どうすればいいのかという差し迫った問題意識が横たわる。二十一世紀のグローバリゼーションの波を活用しつつ、「ヒト」の流れの活発化に留意し、これをきっかけに「和解」を推し進めることができないものかというのが、本書の終章で展開した「解」を生むきっかけであった。簡単にできることではないが、しかし一歩一歩推し進めるための大前提は相互の信頼関係の構築以外にはない。侵略を侵略と認めた上での正しい歴史理解の上で、率直に話し合う場の実現とその拡大は、グローバリゼーションが進めば進むほど、その可能性は拡大するといえよう」。逆に、歴史理解が充分でないと、その可能性は遠退くことになる。そして、この問題が差し迫ったものであるという意識は、とくに日本人の若者のあいだでは乏しい。


 本書は、帯にある通り、「日清・日露戦争以来の「伝統的アジア学」と太平洋戦争期の「新アジア学」の相克と変遷をたどり、戦後の企業の海外展開と国際化のなかで変化していった日本人の対アジア意識を探る」ことを目的としている。その変遷は、「序章」の段落のはじめの部分をつなぎ合わせると、概略がつかめる。抜き出してみる。

 「戦前・戦後の対アジア認識の変化は、絶えず日本人のアジアでの主たる関心地域とそのつどの関心課題によって大きく規定されてきたことは言うまでもない。戦前、しかも日清・日露戦後期のそれは、日本の国策たる朝鮮・台湾・満蒙地域を中心とした領域での勢力拡大と関連した政治経済文化諸問題の検討に充てられていた」。


 「ところが、アジア太平洋戦争期に入ると状況は大きく変わる。占領した東南アジア地域は、同じアジア地域とはいっても、欧米の直轄植民地の歴史が時には数世紀にもわたり、その調査課題も手法も明治以降の日本の東アジア調査とは著しく異なる」。


 「戦後のアジアとの出発は、戦前の東アジアの植民地化をどう認識するか、だった。東アジア各国の植民地化とそれへの反省が認識されるなかで多くの著作が出されると同時に、それに対抗し植民地支配を否定する著作もあらわれてきた。しかし、一九五〇年代は戦争とアジア植民地化への反省が強かったといってよい」。


 「しかし一九五五年以降高度成長がスタートし、日本は社会主義陣営との扉を閉ざしたまま、東南アジア地域への経済進出を開始する。この転換過程で、日清日露戦争以降の朝鮮・台湾・満蒙中心のアジア学の潮流に代わって、東南アジアをフィールドとした新しいアジア学的潮流が次第に強くなり、「独立」という課題を掲げ、経済成長を目的としたこの地域の研究が前面にせり出し始める」。


 「一九八〇年代になると戦争体験者が第一線から退くなかで、次第に戦争への反省とアジアへの侵略の認識は後景に退き始め、逆に戦争体験の「客観化」、個別化が進み始める。「日本人の戦争体験」は大前提として掲げるものの、日本人のなかでの個人体験が語られ始め、それが次第に日本人のアジア観を複眼化させ、多様化させ始めた」。


 「日本人のアジア観を規定する動きのなかに一九八五年から八九年まで続いたバブル経済がある。バブル経済は、日本人の労働観を変えると同時にアジア観でも大きな変化を生み出した。この時期日本人の海外旅行者数は激増し、また日本への外国人就労者数も激増した。日本企業の海外進出も急増した。勢い日本人の対外認識は拡大し、戦前・戦中とは違った意味での日本人のアジア地域を中心とした対外認識の変容を生み出していった。一言でいえば、アジアの先頭を走る日本と日本人意識の覚醒と確認であった」。


 そして、「終章 アジア観の行方」を3節に分け、「第一節 アジア観の地域的変遷」で戦前・戦中・戦後の変遷の考察から明らかになったことを整理し、「第二節 アジア観の新しい動き」で、バブル崩壊後をつぎのように説明している。「一九九〇年代以降は一転してグローバル時代のなかで「失われた十年」という言葉が象徴するように、日本の経済力の減退を生み、そのまま政治的、外交的パワーの喪失として、アジア各国への影響力を減じていった点がある。その結果、日本は一方でグローバル化を求めながら、他方で限りなく個人のなかに埋没しつつ内向きな姿勢を強くしていったのである」。さらに、「グローバル化のなかでの日本人の自己認識の個への回帰という現象は、対アジア観という視点から見た場合には、植民地支配そのものから距離を置く行為に連なる。これは、植民地支配という過去の歴史認識の風化を生む危険性を持つが、同時に植民地支配の認識の上になされるならば、それはその認識を深める可能性も秘めている」好機ととらえ、「第三節 和解への道」のための交流の前提を、つぎのように述べて、終章を結んでいる。


 「日本側が戦前行った様々な侵略行為の正確な認識と理解が前提とならなければならないことは、ここに改めて言うまでもない。問題は、こうした日本側の学習成果をきちんと中国側に伝えることこそが、和解への第一歩となるということである。もし、そうであるとすれば、今日日本で進んでいる個への回帰、自分史への回帰という現象は、決して無駄な動きであるとは思われない。むしろ、そうした個にまつわる事実の発掘こそが、こうした日中和解の糸口を作るかもしれないという意味で、むしろ場合によっては積極的意味を持つのである。いま、東アジアで積極化しているグローバリゼーションの動きと日中双方の「ヒト」を媒介にした交流は、こうした和解を進める動きの追い風になることも、また間違いない事実なのである」。


 問題は、バブル経済崩壊後の「失われた十年」に生まれた現在の大学生以降の世代のアジア観かもしれない。自信のもてない世代に、対等な対話ができるか、そのための基本的知識はあるか、はなはだ心許ないのが現状ではないだろうか。戦前・戦中・戦後世代の「和解への道」がうまくいっていないなかで、どういう新たなアジア観が日本人の若者に必要なのか、それとももうアジア観など必要なく、グローバルな世界観だけが必要なのか、本書で示された変遷をたどりながら考えてみたい。

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