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『サイバー・イスラーム-越境する公共圏』保坂修司(山川出版社)

サイバー・イスラーム-越境する公共圏

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 イスラームには、ウンマという共同体がある。それは、世界中のイスラーム教徒を包み込むボーダーレスでグローバルなものである。かつて、そしていまもマッカへの巡礼が、ヒトもモノも、もちろん思想も、イスラーム教徒を結びつけている。だが、こんにちは、インターネットを使って容易に越境し、人びとを結びつける。


 著者、保坂修司は、本書の目的をつぎのように述べている。「中東で生まれたイスラームという宗教と、欧米を起源とするインターネットなどの情報通信技術の関係について考えてみたい。イスラームという教えが、インターネットをどのように変質させていったか、そしてインターネットがイスラーム社会やイスラーム教徒(ムスリム)をどのように変質させていったか、その化学反応の過程をみていく」。


 そして、「その議論のなかで柱となる二つの概念をまず説明」している。「一つは「サイバー・イスラーム」という概念である。これは仮想空間(サイバースペース)上のイスラーム共同体全般を指す。すでにこの概念については欧米でも研究がおこなわれはじめており、デジタル・イスラーム、eイスラーム、あるいはiムスリムなどさまざま異なる名前でよばれている。この共同体は仮想的なものであるが、現実を濃密に反映したものであると同時に、現実社会にも影響を与えるようになっている」。

 「もう一つは「公共圏」という概念である。「公共圏」とは本書ではごくざっくりと「不特定多数の人々が自由に集い、議論できる空間」という意味で用いている。重要なのは、この空間での議論が限定された場をこえて、しばしば政治や社会にまで影響をおよぼすことである」。本書の議論の焦点は、「サイバー・イスラーム上の公共圏がいかに現実の政治とからみ合い、それを変えていったかという点となる」。


 本章は、4章からなる。それぞれのタイトルは、つぎの通りである:第1章「インターネット黎明期のイスラーム世界」、第2章「多様化するサイバー・イスラーム」、第3章「仮想空間から現実社会へ」、第4章「インターネットで変わるイスラーム世界」。最後の第4章のつぎの5つの見出しから、結論がわかってくるような気がした:「伝統的メディアの役割」「手のひらのなかからの革命」「世界を変えた平手打ち」「情報通信技術がイスラーム的伝統・価値観を変容させる」「サイバー・イスラームをコントロールするアメリカのサイト」。


 本書で語られていることは、イスラーム社会だけでなく現代のインターネット社会共通のものと、イスラーム独特のものとにわけられる。著者は、「おわりに」でつぎのように述べている。「イスラーム諸国の多くは検閲によって、反イスラーム的な情報がイスラームの仮想空間に流入・浸透することを防いでいる。このなかには、ポルノやテロのように、多くの宗教で反道徳的・反社会的とみなされているものもあるが、イスラーム世界にはそれだけでなく、イスラーム以外の宗教に関する情報まで排除しようとする国もある。そこでは、多神教であるヒンドゥー教や仏教、神道などだけでなく、イスラームと同じ一神教キリスト教ユダヤ教に関する情報までもがブロックされる」。


 問題は、インターネットによる情報の自由/規制が、治安の安定や経済発展に結びついていないことである。「アラブの春による革命で独裁体制が崩壊した国々では依然として不安定な状態が続いている。人々は革命後すぐにでも、自由や民主主義-たとえそれが世俗的なものであれ、イスラーム的なものであれ-が自分たちの国でも構築されるのではと期待したが、その可能性も今やあやしいものになりつつある」。


 「現在では、ツイッターなどのわずか一〇〇語足らずのつぶやきで、宗教間や宗派間の対立を煽ることだって可能なのである」。著者は、「これを自由の代償とみなすのか、それとも駆除の対象とするのかは、われわれ自由社会に住む者に突きつけられている深刻な問いかけでもある」と述べ、われわれにも問題を投げかけている。そして、最後はつぎのようなことばで本書を締め括っている。「宗教的、あるいは政治的な制約はあるものの、彼らはサイバースペース上に新しくできつつある公共圏をエンジョイしているようにもみえる」。それが、社会の安定と物心ともの豊かさに結びついていけばいいのだが・・・。外から見ているものには、まだよく見えない。

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