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『災害復興で内戦を乗り越える-スマトラ島沖地震・津波とアチェ紛争』西芳実(京都大学学術出版会)

災害復興で内戦を乗り越える-スマトラ島沖地震・津波とアチェ紛争

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 「津波で何もかも失ったのに、アチェの人たちはなぜみんな笑顔なんですか。」著者、西芳実は、この問いに答えるために、本書で「二〇〇四年一二月二六日に発生したスマトラ島沖地震津波で甚大な被害を受けたインドネシア共和国アチェ州を対象に、災害を契機に社会がどのように変革を経験し、復興を経験しているかを地域研究の立場から明らかにする」。


 「災害大国」日本には、災害を乗り越える知識と経験がある。それは「途上国」インドネシアの被災者の役に立つはずだ、と多くの日本人が善意から考えるかもしれない。著者が「地域研究の立場から」と言っているのは、その善意だけでは被災者の役に立つどころか、逆に迷惑になることもあるということを地域研究者が知っているからである。本書が、「地域研究を基盤とし、災害対応研究とアチェの紛争・現代史研究の二つの研究の流れを背景」に書かれたことを、著者はつぎのように説明している。


 「地域研究では、災害を日常生活から切り離された特殊な出来事であるとは捉えず、日常生活の延長上にあると捉える。社会は潜在的にさまざまな課題を抱えており、日ごろはそれに目を向けずにやり過ごしていることが多いが、災害はそのような潜在的な課題があるところに大きな被害をもたらし、人々の目に明らかにする。したがって、もし災害への対応を、壊れたものを直し、失われたものの代用品を与えるだけで、災害が起こる前の状態に戻すだけにするとしたら、その社会が潜在的に抱えていた課題も元通りにしてしまうことになる。災害は多くの人命や財産を奪う不幸な出来事であるが、災害を契機に明らかになった社会の課題に取り組み、災害を契機によりよい社会を作ることが、次に災害が起こったときに被害を少なくすることにつながり、災害の犠牲を無駄にしないことにもなる。社会が抱える課題には大きいものも小さいものもあるが、武力紛争が続いていたアチェ津波後に和平合意が結ばれて紛争が終結したことは、被災を契機に社会の課題が解決された例の一つである」。


 さらに、著者は、被災地アチェから学ぼうとしていることが、つぎの文章からわかる。「アチェの被災者の顔に現れる笑顔の意味や背景を考えることによって、アチェが経験している復興とはどのようなものなのかを考えてみたい。未曾有の大災害を経験してもなおアチェの被災者たちが外国から来た客人たちに微笑みかけようとすることの意味を、民族性の違いや宗教心の強さといった異文化性によって捉えようとするのではなく、同じ時代に同じ地球に住む人間どうしであることを前提にして考えることは、アチェの文脈を離れて、この世に生を受けた私たちは結局のところ何のために生まれてきて、生涯を通じて何を成し遂げてこの世を去るのかを考えることにも繋がるだろう。また、被災と復興を経てアチェにどのような新しい社会が生まれつつあるのかを考えることを通じて、アチェの経験が他の地域、とりわけ日本にどのような意味で適用可能かについて考える助けにもなるものと期待している」。


 本書は、「はじめに」、3部9章、「おわりに」からなり、「二〇〇四年一二月の被災直後から二〇一三年一二月までの九年間を扱う。この間のアチェは、大きく三つの時期に分けられる。被災直後の救援・緊急対応の時期、被災によって失われた住宅や社会インフラの回復・再建に取り組んだ復興再建期、そして被災と復興の経験を経て新しい社会秩序や意識があらわれた時期である。緊急時から災害対応が進む過程でどのような課題が見られ、それにどのように取り組んできたかを明らかにするため、三つの時期についてそれぞれ三つの章によって検討する」。


 「第一部では、内戦下にあったアチェ津波の最大の被災地となり、大規模な救援復興活動が展開する中で内戦状態が解消していった様子を見る」。「第二部では、さまざまな復興再建事業が進行する中で、被災者や支援者のあいだでの立場や考え方の違いがどのような形で表面化し、それを人々がどのように吸収し、受け止めたかを考える」。「第三部では、アチェの被災と復興の経験を経て、アチェや他のインドネシアの人々がどのような新しい価値観や認識を得るに至ったのかを考える」。


 そして、それぞれの章は、冒頭で挙げた問いを細分化したつぎの9つの問いに対応している。「アチェの沿岸部に住む人々は津波の危険性について知らなかったのか」「インドネシア国軍はなぜ外国による支援活動を妨害しようとしたのか」「日本のNGOの緊急・復興支援はアチェにとって本当に意味があったのか」「被災者たちが外国からの支援者を楽しそうに迎えていたのはなぜか」「津波の犠牲者はどのように埋葬され、どのように弔われたのか」「支援団体が建てた復興住宅に空き家が多く見られたのはなぜか」「インドネシアの他の地域の人はアチェの被災をどのように受け止めたのか」「外国にいる私たちはアチェの経験をどのように知ることができるのか」「津波と復興を経てアチェの人々や社会はどのように変わったのか」。


 この9つの問いに答えながら、著者は「おわりに」で「アチェの被災と復興の九年間を振り返り、アチェの被災者に見られた「思いのほか明るい表情」の意味について」考えている。考えたことは、「あとがき」でつぎのようにまとめられた。「アチェでは、人が出会った時の一番のもてなしは話をすることだ。ためになる話をすることは、とりわけよそから来た者にとっては責務といえるほどだ」。「津波以降、日本でも多くの人がアチェに関わりを持つようになった。それぞれの人がそれぞれの持ち場でアチェの人々と交流し、それぞれのアチェの姿と物語が形づくられてきたことと思う。それらの姿や物語が多様になるほど、アチェの物語は豊かになる。本書がアチェに関わる人々が持つそれぞれのアチェの物語を豊かにするための土台の一つになればと願っている」。


 本書では、被災から時系列に9つの問いに向かい合いながら、「物語が豊か」になっていく過程が語られている。そこにはアチェの人びとが、外部世界からモノや知識・情報を得ることによって被災を乗り越え、自分たちの社会をつくっていく姿が描かれている。アチェは、「メッカのベランダ」と呼ばれたように、インド洋の向こうのイスラーム世界からもたらされる知識や情報で、社会を活性化させてきた歴史をもつ。さらに海域東南アジア世界の流動性をうまくいかして、繁栄した時代があった。このような歴史的背景を充分に理解している著者だからこそ、つぎのような結論にいたったことがわかる。「津波を契機に世界に開かれ紛争を終結させ、物理的な復興を遂げたアチェは、何度目かの岐路を迎えている。社会の凝集力を高めることで外部世界との結びつきをより強固なものにする方向に向かうのではなく、遊びや逸脱を許しながら外部世界との多様な関係性を維持してアチェがさらに発展していくことを願っている」。


 アチェの人びとが、「災害を契機に明らかになった社会の課題に取り組み、災害を契機によりよい社会をつくること」めざしたように、著者も「内戦が続き、人々の間で互いに異なる歴史観が並存しているアチェの歴史をどのようにまとめればよいのか迷っている」状況から抜け出し、よりよい1書をつくることをめざした成果が本書だろう。アチェの人びとと「互いの話を交換し共有して」、「物語を豊かにした」成果ともいえる。

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