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『京都料亭の味わい方』村田吉弘(光文社)

京都料亭の味わい方

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「料亭は「大人のアミューズメントパーク」」

 フランスに住んでいると、日本から来る知人に「いつもフランス料理を食べているんですか。」と、よく聞かれる。妻がフランス人であればそういう事もあり得るだろうが、私の伴侶は日本人で東京の下町っ子である。従って、家では日本に住んでいる人たちと変わらないような食生活をしている。もちろん、フランスでしか手に入らないような食材を使う点に、多少の違いはあるが。

 食べるのが好きなので、たまにミシュランの星つきレストランにも行く。三つ星クラスになると、一介のサラリーマンが頻繁に行く事はできないが、それでも少し貯金をして時々楽しむ事はできる。三つ星レストランはお料理だけではなく、お店の雰囲気からサービス、ワインに至る全てが素晴らしいのが普通だ。その全てにお金を払うのである。

 日本に一時帰国すると、やはり美味しい和食が食べたくなるが、行くのは割烹止まりで、「料亭」となると少々気後れしてしまう。パリの三つ星レストランならば、常識を守ってこちらが楽しいように食べれば良いのであるから、気後れする事はなく、楽しい一時を過ごす事ができる。しかし料亭となると、何をどうすればよいのか考えてしまう。

 京都の料亭「菊乃井」のご主人である村田吉弘さんは『京都料亭の味わい方』において、そんな私の心配を見事に払拭してくれた。彼は、料亭が「大人のアミューズメントパーク」であると言う。そんな馬鹿な、と思う人が多いだろうが、京都弁で語られるこの本を読んでいくと、妙に納得できる。要は周りの人に迷惑をかけずに、こちらが楽しいと思う方法で楽しめる場所、という事だ。

 別に、鮎の食べ方や、懐石のマナーを知らなくてもかまわない。同席の人たちが不愉快に思わないならば、自由に楽しんで食べてもらえば良い。料亭といえども基本は「飯屋」である、という村田さんの語りは、分かり易く小気味の良いものである。

 しかし、一流料亭を営んでいく事の苦労と自負もしっかりと表現されている。お店で使っている調味料の出所まで明らかにしているのだが、誰でもが手に入れられるものではない。そこには何世代にも渡って培ってきた取引先との信用がある。赤字になってでも売ってくれる昆布商、曾祖父の遺言として、昔ながらの製法で「たまり」をつくっている醤油屋。そこには一切の妥協を許さない姿勢が明確に見える。

 東京「菊乃井」を出店するまでの苦労も凄い。土地探しから始めて、建築家や大工達との徹底した打ち合わせ。気に入った器を手に入れるまでの、辛抱と根気。何をとっても驚くのだが、そこに共通するのは、人との出会いが根本にあるという事だ。優れた人の信用を得るためには、自分もそのレヴェルに達する努力をしなくてはならない。村田さんはそういったことを直接言わないが、私たちが学ぶのは、そこにこそ伝統としての「粋」が息づいているのではないか、という事である。

 料亭とは、多彩な分野の優れた人々の技を披露してくれる、総合芸術の異空間なのである。料亭は大人としての「常識」を守れば、お料理や器を楽しむ事もせず妙な密談をしている一部の政治家よりも、むしろ私たち庶民にふさわしい場であると言えるかもしれない。誕生日や結婚記念日等特別な日に、ちょっとお洒落をして、奮発して楽しみに行く場所、それこそが料亭のあるべき姿であるという、筆者の考えが良く分かる。

 村田さんのおかげで、料亭が随分身近に思えてきた。私はフランスの三つ星では、いつもソムリエと「遊ぶ」。10年程ワインクラブを主催している事もあり、ソムリエとワインの話をすると、良く意気投合する。そうなると、次の料理には是非このワインを飲んで欲しい、合わなかったら取り替えるから、と言ってリストにないワインを勧めてくれたりもする。それが実に楽しい。

 料亭でも、同じように「遊べる」のだ、という事が良く分かった。近い内に是非京都の料亭を訪れてみよう、と心から思える。私たちのような、普通のサラリーマンにでもそう思わせてくれるこの心遣いそのものが、筆者の心意気、つまり料亭の真骨頂なのかもしれない。

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