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『本の読み方-スロー・リーディングの実践』平野啓一郎(PHP新書)

本の読み方-スロー・リーディングの実践

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「スローな世界」

 「ファーストフード」に対し「スローフード」が提唱されて、徐々に広がっているようだ。その事自体は賛成だし、何も文句は無い。しかし、フランスで暮らしていると、本当に「スロー」な人々に出会う。修理を頼むと、午前中という約束が、お昼頃になって午後からになると電話がある。待っていたら夕方再び電話があり、今日は行けそうも無いから、別の日を指定してくれと言う。この位は日常茶飯事だ。

 アメリカ人がパリに転勤してくると、フランス人の時間の使い方についていけず、ノイローゼになるという噂さえある。かつて大ヒットしたピーター・メイルの南仏物では、すぐに来るというのは数日中ということだし、明日位にはというのは数週間以内、その内などというと絶対に来ないとまで、言い切る。このようにフランスでは「スロー」が既に蔓延しているのである。

 しかし、平野啓一郎が勧めるのは「スロー・リーディング」だ。「速読」に対する造語である。「量」の読書から「質」の読書へ、網羅型の読書から選択的な読書へ、と彼は言う。スロー・リーディングは五年後、十年後のための読書であり、仕事、試験、面接等にも役に立つと主張する。小説の「ノイズ」を読み取る事が大切だというのも、若手作家としての感覚として面白い。

 前半では「基礎編」、「テクニック編」として、種々の説明をしている。助詞や助動詞に注意するなど、個性的な内容もあるが、本好きの人にとっては多くは既知の内容だ。もちろん本が苦手な人にとっては、かなり丁寧に読み方を教えてくれている。しかし、この本のもっとも面白い部分は、後半の「実戦編」だ。実際に作品の抜粋を取り上げ、どのように読んでいくか詳しく分析している。

 これは楽しい。しかも夏目漱石の『こころ』では、普通あまり取り上げない「両親と私」から、「私」が兄と、「先生」について話し合うシーンが選ばれている。「イゴイズム」で表される「先生」とそれを許さない兄の対立から、時代の全体主義への傾斜を読み取ったり、「両親と私」という目立たない部分が、実は非常に大切な役割を果たしている事を述べたりする。

 森鷗外の『高瀬舟』や三島由紀夫の『金閣寺』という名作に関しても、興味深い部分を取り上げて論じている。カフカの短編「橋」の第一文「私は橋だった。」も種々の問題を含む。「私」とは誰か。カフカか、それとも別の存在か。または別の存在に仮託した作者か。「橋だった。」という過去形の意味は。では今は何なのか。この短い一文から多くの疑問が湧いてくる。その疑問が大切だと平野は言う。確かにその通りだ。

 川端康成の『伊豆の踊り子』では、一人称の難しさを説明している。小さな語句の読み落としが、大きな誤読に繋がる。サイデンステッカーの誤訳もうなずける。金原ひろみの『蛇にピアス』という新しい作品を取り上げるのも興味深いが、何より驚くのは平野の作品である『葬送』の一場面を解説していることだ。普段私達は作家が自分の作品を詳しく語るのに出会うことは少ないだろう。しかも一場面を詳しく分析するとなると。

 読書の初心者は、役に立つ本の読み方を学ぶであろうし、上級者は「実戦編」を楽しく読むことができる。単なる「ハウツーもの」を越えた、最前線で活躍する作家の一側面を知ることができる、一冊である。


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