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『真珠の耳飾りの少女』トレイシー・シュヴァリエ(白水社)

真珠の耳飾りの少女

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「魅惑の少女の正体は?」

 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女青いターバンの少女)」に出会ったのは、1981年の事だった。ようやくパリに行く切掛けをつかみ、アリアンス・フランセーズで3ヶ月間フランス語を学んでいる時だった。フェルメールの絵を見るためにオランダへ旅行し、デン・ハーグのマウリッツハウス美術館の狭い階段を上った小さな部屋にその絵はあった。一緒に行った友人は他の部屋を回っているので、誰もいないその小さな部屋で、近くの窓枠に腰掛けながら小一時間少女の目を見つめていたのを思い出す。至福の時だった。

 フェルメールのことを知ったのは、福永武彦の随筆だった。その時から、フェルメールの絵に会いたくて仕方がなかった。パリに惹かれたのはロートレアモンシュールレアリストたちの作品のせいだが、フェルメールも一因になっている。この絵が夏に日本で公開されるらしい。待ち望んでいる人も多いことだろう。以前「モナ・リザ」が東京に来た時、見に行った妻が「画の前で立ち止まらないで下さい」という係員の案内にあきれたと言っていたが、入場制限してでも少しはのんびりと絵を見る時間があると良いのだが。

 さて、トレイシー・シュヴァリエの『真珠の耳飾りの少女』は、このモデルの少女が主人公の創作物語である。生涯30数枚の絵しか残さなかったフェルメールの生涯も謎の部分が多いが、このモデルの少女も素性は分かっていない。故に「種明かし」となっているわけではない。あくまでも作者の想像力による創作にすぎない。だが作者は知られている限りの情報を上手く使っているので、不思議な説得力がある。

 家族構成、パトロンのファン・ライフェン、友人のファン・レーウェンフック、「真珠の首飾りの女」から取り除かれた地図等、史実に沿っている。カメラ・オブスクラの使用は専門家の意見の分かれるところらしい。主人公の少女はフリートという名前でフェルメール家に女中として雇われる。だが、主人の信頼を得て、絵の材料を揃えたりアトリエの掃除を任されたりするようになる。ある日フリートは色の秘密に気づく。雲が白いと言った彼女に、フェルメールは疑問を投げかける。そしてフリートは気づく。

 「蕪には緑が混じっていて、玉葱には黄色が」

 「その通りだ。さあ、雲にはどんな色が見えるかね?」

 「少し青いところがございます」数分じっくり見てから答えた。「それから・・・・・・黄色も。緑も見えます!」

 フェルメールの作品の魅力は何といってもその美しい色だが、彼がどのようにそれらの色を生み出したか、臨場感溢れる場面が多数描かれている。その色の魔術師に惹かれていくフリートと、単なる女中とは思えないほど絵に対する鋭い勘を持つ女中に驚くフェルメール。「牛乳を注ぐ女」のモデルとなったもう一人の女中のタンネケ、フェルメールの妻のカタリーナ、その母のマーリア・ティンス、様々な子どもたち等、登場人物は多く、彼らとフリートとの関係も面白いが、やはり絵の誕生を巡る部分が秀逸である。

 余計な知識を入れずに絵を見ることは楽しいが、この作品は決して「余計」にはならないだろう。むしろフェルメールの世界への想像の翼を広げてくれる。手元に画集を置きながらこの作品を読み、少女との夏の出会いを待つのも一興であるに違いない。


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