『ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして血にも肉にもならなかった一〇〇冊』 立花隆 (文藝春秋)
立花隆は週刊文春に五週間に一度「私の読書日記」を執筆し、五年おきに「読書日記」をまとめた本を出版している。最初が『ぼくはこんな本を読んできた』、次が『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本』で、今回の本は三冊目にあたる。
いずれの本も後半が書評、前半は書き下ろしの読書論という構成だが、今回の前半部分は担当編集者との対談の体裁をとっている。立花の書庫兼仕事場であるネコビル(『ぼくはこんな本を読んできた』参照)を案内しながら、一生のうちで一番勉強した無名時代に読んだ本を紹介していく趣向だ。
前の二冊の読書論もそれぞれおもしろかったが、今回はさらにおもしろい。対談なので話が思いもかけない方向に転がっていき、本だけではなく立花の波瀾万丈の前半生や女性遍歴、取材の裏話や雑誌ジャーナリズムの実情がざっくばらんにに語られているのだ。
立花は文藝春秋社に入社後、「週刊文春」に配属され記者を二年間やったが、そこで痛感したのはジャーナリストに必要なのは「半可通能力」だということだった。「半可通能力」とは確信犯としての知ったかぶりである。
微妙な話なので、長くなるが立花の解説を引こう。
立花 早読みと早書きの間を結ぶ能力として、もうひとつ大切なのは、「早呑みこみ」です。資料をゆっくり読んで、事情をすっかりつかんでから取材するのでは遅すぎます。だいたいわかったところで、いかにも事情に通じている風をよそおって、取材に行かなければならない。取材で聞く話の中に、よくわからないことが出てきても、フンフンといかにもわかったような顔をして話を聞きつづける。わからないところは、あとで大あわてで調べる。次の人を取材するときには、大あわてで調べた生煮えの知識を、さも前から知っていたかのごとくよそおって相手にぶつけ、さらに取材を深めていく。こういう「半可通能力」を身につけなければならないわけです。
新聞記者は専門をもてるので、知ったかぶりをしているうちに本当の専門家になる人がすくなからずいるが、どんな話題がくるかわからない週刊誌の記者ではそうもいかない。立花は週刊誌の記者をつづけていたら「どんどんバカになる」と危機感をおぼえ、二年で退社して東大の哲学科にはいりなおした。
大学にもどった後も、生活費を稼ぐために雑誌ジャーナリズムとのつきあいはつづいた。アカデミズムを吸収して知の土台作りにはげむ一方、「半可通能力」にも磨きをかけていき、われわれの知る「立花隆」に成長していったのである。
立花がジャーナリストに多い半可通と一線を画すのは確かだが、半可通の要素をなくしているわけではない。専門家はだしではあっても、専門家ではない。専門家ではないというところに立花の存在意義がある。立花はいい意味での半可通でありつづけている。
立花が無名時代をおくったのは日本で調査報道がはじまり、雑誌ジャーナリズムが独自の地位を確立しようとしていた時期にあたっていた。立花は上げ潮の気運の中で実力をたくわえ、田中金脈研究で雑誌ジャーナリズムの生みだした最初のスターとなった。出版界、特に雑誌が体力を落としつつある現在、新人のライターが立花のようなコースをたどるのは難しいだろう。
その意味で立花は幸運だったといえるが、運を摑めたのは無名時代の蓄積があったればこそだ。
本書の前半には立花が無名時代に読んだ本が約500冊紹介してある。半分くらいは基本図書として知られた本で、ジャーナリストになるつもりがなくても、読んでおく価値があるし、調べごとをする必要が出てきたら、このリストは当たりをつけるのに役に立つはずだ。
後半の「わたくしの読書日記」だが、例によってゲテモノが多く、トリビアが満載である。立花自身も明言しているようにトンデモ本もすくなからず含まれている。
フェザーの『死海文書の謎を解く』、ブルトンの『魔術的芸術』、アルチュセールの自伝などは美味しそうに紹介していて食指が動くが、あつかいに疑問のある本もないわけではない。実松克義の『古代アマゾン文明の衝撃』はトンデモ本に近い紹介のされ方だが、アマゾン文明が一番古いとまでは言っていなくて、ちゃんとした本である。一方、『ゲーム脳の恐怖』を大真面目に評価するのはいかがなものか。日銀陰謀論あたりも眉に唾をつけたくなる。