『総員玉砕せよ!』 水木しげる (講談社文庫)
水木しげるが戦記漫画を描いていて評価が高いことは知っていたが、陰々滅々な話だろうと敬遠していた。しかしNHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』で水木が戦記物に注いだなみなみならぬ情熱を知り、思い切ってまとめて読んでみることにした。
水木の戦記漫画は過去にさまざまな版で出ているが、現在書店で買えるのは完全復刻をうたった小学館クリエイティブ版を除くと講談社文庫版と宙出版版の二つである。
講談社文庫版は大東亞戦争開戦50年目にあたる1991年に講談社コミックから出た『水木しげる戦記ドキュメンタリー・全4巻』の文庫化で、長編の『総員玉砕せよ!』と3冊の短編集(『敗走記』、『白い旗』、『姑娘』)からなる(短編集には15編をおさめる)。
宙出版版はA5版400頁の大冊で『ああ太平洋』上下、『ああ玉砕』、『鬼軍曹』、『大空戦』の5巻が出ている(『大海戦』が予告されていたが出版されなかったようだ)。
宙出版版と講談社文庫版は多くの作品が重なるが、同じ作品でも別バージョンを収録しているので(宙出版版は初出に近いものが多く、講談社文庫版は改作が多い)、水木漫画が好きなら両方買った方がいい。
さて『総員玉砕せよ!』である。1970年の短編「敗走記」(同題の短編集に収録)をもとに1973年8月8日に書き下ろし長編として講談社から出版された。出版に先だって「劇画ゲンダイ」1973年8月1日増刊号に「総員玉砕せよ! 聖ジョージ岬・哀歌」として短編版(『ああ玉砕』に収録)が発表されている(短編版は32頁、本作は350頁と長さが10倍以上違う上に結末が変わっているので、別作品と見た方がいいかもしれない)。
水木は昭和18年にニューブリテン島ラバウルへ送られ爆撃で左腕を失うが、入院中に所属する成瀬大隊(作中では田所支隊)が前線のズンゲンで「玉砕」している。「玉砕」前後の不条理な経緯を描いたのが本作で、「あとがき」には「九十パーセントは事実です」と断り書きがある。
玉砕というと硫黄島のような逃げ場のない小さな島で守備隊が全滅するという受けとり方をする人が多いだろう。わたしもそう思いこんでいたが田所支隊の「玉砕」は違った。
そもそもニューブリテン島は九州くらいの面積のある大きな島で、島の北部のラバウルには陸海軍あわせて10万近い日本軍が一大要塞を作りあげていた。あまりにも日本側の兵力が大きいので連合軍は包囲して空爆をくわえるにとどめ、日本軍は敗戦までラバウルを保持しつづけた。レイテ島やガダルカナル島の惨状から較べればニューブリテン島ははるかにましだったのである。
田所少佐(実際は成瀬懿民少佐)率いるバイエン支隊500名は連合軍の上陸が予想されるワランゴエ河(実際はメベロ河)河口に進出し、激しい爆撃を受けながら陣地構築にあけくれる。昭和20年3月、いよいよ連合軍が上陸してくる。虎の子の大隊砲と水際に展開していた中隊は爆撃と艦砲射撃で吹き飛ばされ、田所支隊は二つの中隊だけになり後方を敵にふさがれてしまう。
ここで若い田所少佐は早々と玉砕を提案するが、ゲリラ戦を主張する中隊長らの反対にあう。美しい死に場所をもとめる成瀬少佐とラバウルを守るにはゲリラ戦が効果的とする中隊長たちの対立は埋まらず、田所少佐はついに最後の斬りこみと重症者の自決を命じラバウルの兵団司令部にその旨打電する。
司令部では唐突な玉砕に驚き最後まで陣地で戦えと返電するが、応答がなかったので玉砕と大本営に報告してしまう。玉砕は軍事的には何の意味もなかったがラバウルの弛みかけた軍規を引き締める効果はあった。
ところが数日後、聖ジョージ岬(実際はヤンマー)警備隊からありうべき機密電報が届く。「玉砕」したはずの田所支隊の兵士が将校に率いられて生還したというのだ。
玉砕を急ぐ田所少佐は副官から「でも……大隊の兵の心が玉砕に統一されておりません
」と制止されるが、十万の友軍が目と鼻の先のところで「惰眠をむさぼっている
」のに、死ねといわれて死ねるものではないだろう。田所少佐は美学に酔って現実が見えていなかったのだ。
しかし司令部が「玉砕」と発表した以上、彼らは生きていてはいけない人間である。かくして田所支隊の生存者をもう一度「玉砕」させるべく参謀が送りこまれることになる。
やりきれない結末だが、南洋のうだるような暑さの中でつづく単調な軍隊生活の中で単調に人が死んでいく感覚など戦争を体験した人にしか描けないリアリティがある。一度は読んでおくべき作品だ。なおNHKで放映された『鬼太郎が見た玉砕』は本作のドラマ化、『水木しげるのラバウル戦記』(ちくま文庫)は同じ時期を描いた絵文集である。