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『評伝 梶井基次郎』 柏倉康夫 (左右社)

評伝 梶井基次郎

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 梶井基次郎の評伝である。著者の柏倉氏はマラルメの研究家で(本欄では『生成するマラルメ』をとりあげている)、フランスの現代批評に親しんでいる人なので作家の人生べったりの評伝とは異なり、批評として読みごたえのある一冊となっている。

 梶井基次郎は31歳で夭折した。作品は多くない。文庫判でも一冊でおさまってしまうくらいだ。草稿や創作ノート、書簡をあわせても三巻で十分である。しかし梶井については友人知己が追悼文や回想をおびただしく残している。

 梶井は孤独の中で作品を書いたのではなかった。梶井の友人の多くは同人誌「青空」のメンバーだったが、彼らはしょっちゅう下宿を訪問し、書きかけの作品を読みあっては批評しあい、日記に互いの消息をしるした。梶井が転地療養のために湯ヶ島温泉に移ると頻繁に手紙をやりとりした。東京から「青空」の仲間が訪ねてきて数日泊まっていくこともよくあった。

 こうしたベタベタしたつきあいは昔の地方出の文学青年には珍しくなかったかもしれないが、大学を卒業し就職してモラトリアム生活が終われば、あるいは首尾よく文壇にデビューして職業作家になることができれば、それとともに終止符が打たれるものだろう。ところが「青空」の主要メンバーは就職しても大恐慌ですぐに無業者にもどってしまったし、梶井にいたっては結核によって無期限のモラトリアムを余儀なくされていた。

 梶井が念願の原稿料収入を手にするには絶筆となった「のんきな話」まで待たなければならなかった。梶井は創作活動のほぼ全期間を同人誌作家としてすごした。梶井の書簡や日記、創作ノート、草稿、完成した作品は「青空」の同人仲間が書きつづった厖大な文章群と絡みあいながら執筆されている。実際梶井は同人仲間が語った言葉をそのまま作品に織りこむといったことをやっているし、心酔し後に転地先の湯ヶ島で親しく交わることになる川端康成の作品をとりこんだ「川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイシヨン」のような作品も書いている。梶井が書きつづった文章は「青空」を結節点とするテキスト共同体の一部と化しているといっていいくらいなのだ。

 本書は評伝と銘打たれており、梶井の生涯をたどる形で書き進められている。なるほど、お定まりの梶井の複雑な家庭や金の工面の話も出てくるが、本書の眼目はそこにはない。本書でクローズアップされているのは梶井の作品が創作ノートから数次の草稿をへてどのように作品として織りあげられていくかであり、そこに横糸として書簡、同人仲間の日記、作品、消息、後年の回想がさしはさまれていく。本書が梶井の誕生した1901年ではなく、「青空」創刊を話しあう会合がもたれた1924年から起稿されているのは理由のないことではない。

 もっとも梶井の処女作『檸檬』はまだ「青空」が影も形もなかった1923年の「「檸檬」を挿話とする断片」にはじまる。その年の暮れから翌24年にかけて第二稿「瀬山の話」を書き、三高で同級生だった大宅壮一らの第七次「新思潮」に刺激されて「青空」をつくろうとする話が持ちあがるにおよび発表を意識した第三稿にとりかかる。この段階では瀬山の語りと「私」の眼に映った瀬山像を交互に織りあわせる構成だったが、書きすすんでいくうちにレモン体験が多層的な意味を持ちはじめる。梶井は推敲の過程で自分の立ち位置を自覚するようになる。

 著者は「瀬山の話」の「私は瀬山に就いてこうも云へる様に思ふ。彼は常に何か昂奮することを愛したのだと。彼にとつては生活が何時も魅力を持ってゐなければ、陶酔を意味してゐなければならなかつたのだ」の条についてこう述べている。

 この数行こそ梶井が自分の本質だと見定めておいたものの表白であって、それを彼は創作上の主人公瀬山に与えるのである。しかし日常生活をたえず魅力にみち、昂奮を覚えるものとするのは容易ではない。昂奮はたちまち醒め、支離滅裂な生活のつけがまわってくる。そんな瀬山が、陳腐な日常生活の中で昂奮を感じた事例として、話者たる「私」に語って聞かせるのが、レモンをめぐる挿話である。

 レモンは荒廃した生活の中で見失った真善美の象徴だが、「瀬山の話」の段階ではそのレモンを爆弾に変える瀬山の空想を「私」が冷静に見つめるという重層的な構造をとっていた。「私」は反省の意識を代表するが、それは容赦のない他者の意識にほかならない。

 ところが最終稿では67枚の「瀬山の話」が17枚に圧縮される。「私」による客観描写はばっさり削られ、レモンの挿話だけが残される。幻視者瀬山の物語から幻視体験だけを切りだしたのが「檸檬」であり、他者の視点がなくなった結果散文詩のように叙情が凝縮した作品となった。

 それは最終段階で「檸檬」が「青空」のテキスト共同体を脱したことを意味する。「瀬山の話」はテキスト共同体に緊密に編みこまれていたが、「檸檬」にはある種の切断があり、球体となって宙空に浮かんでいるのだ。

 なぜ最後の最後で「檸檬」は座から離れてしまったのか。著者は「檸檬」にとりいれられることになる京都の散策を叙した日記の「ここの裏から眺めるとほんとにいヽな」という一節に注目し、梶井は表通りで展開される実人生を「裏」から眺めており、風物はもちろん、人びとの行為さえ現実感を失った光景として見ていると指摘し、それは病者の意識から来ていると結論する。

 結核という病のせいで、現実世界に関与できないという諦念と悲哀。そのためにいつしか現実を距離をおいて眺める地点が、梶井の定位置となって行くことだろう。

 病者の意識のために梶井は同人仲間と宴に興じていても最後の部分では孤独の境界を越えることができず、その寂しさから酒をまわしのみする茶碗にことさら唾をつけて友人を試してみたりもする。

 死病によって仲間から、そして世界から隔てられているという感覚。埋めようのない孤独感。その意識が梶井を幻視者にする。幻を見ることは現実の否定をともなうが、「筧の話」の森のせせらぎが聞こえてくる条について著者はこう書いている。

 ここで語られているのは想像力が発動する際のもっとも根源的な条件、つまりあるもののイメージを喚起しえるには、その対象の実在性を否定する契機が絶対に必要であるということの体験的事実である。梶井の内部で鳴っているのは現実の水のせせらぎではなく、想像界に転移された水音なのである。だからこそ、それはかくも魅惑的で神秘の感情を伴っているのだ。それが目に見えるせせらぎから聞こえる水音であれば、これほどの喜びを与えてくれるはずがない。

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