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『改訂普及版 人類進化大全』 ストリンガー&アンドリュース (悠書館)

人類進化大全

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 古人類学の図鑑である。原著は2005年に刊行され、2011年に改訂版が出た。日本では2008年にハードカバーで邦訳が出ているが、1万2600円という個人には手の出しにくい価格だったので、2012年に装幀を簡略化し価格を6,090円におさえた本書が出た。

 単に値段が安くなっただけでなく、原著の2011年版にあわせて改訂された点が重要だ。2008年に発見された現生人類の最古の祖先アウストラロピテクス・セディバや2009年に復元されたラミダス猿人、さらに日進月歩の観のあるDNA分析など最新情報が追加されており、「改訂普及版」というにふさわしい内容になっている。

 著者は人類のアフリカ単一起源説を提唱したことで知られるロンドン自然史博物館人類進化研究室のクリス・ストリンガーとその同僚のピーター・アンドリュースで、どちらも30年以上の研究歴のある古人類学界の重鎮であり、発掘経験も豊富である。

 アリス・ロバーツ編の『人類の進化大図鑑』(以下『大図鑑』)は一般向けで文字量がすくなかったが、本書は本格的な勉強をしたい人向けで文字量が多い(小さめの活字で横二段組)。図鑑というより古人類学の教科書といった方がいいかもしれない。

 巻末に「さらに読みたい読者のために」という参考文献一覧が細かい活字で3頁たっぷり載っているが、1/4は学術誌に載った論文であり、残りも専門書ばかりである。

 本書は三部にわかれる。

 第一部「私たちの祖先を求めて」は導入編で人類進化のあらましと、それが地球誕生からのタイムスケールでどのような位置にあるか、動物の食性と身体の大きさの関係、化石はどのようにしてできるか、発掘と解析技術、古代の環境などを解説した後、著者たち自身が発掘にたずさわった六つの現場を紹介している。

 オルドヴァイ溪谷やジブラルタルのような有名な遺跡も出てくるが、英仏海峡に近いボックスグローブ遺跡の条は面白かった。

 50万年前の層から歯が2本出土しているが、これは英国最古の人類化石でホモ・ハイデルベルゲンシスと同定されている。近くで黒曜石がとれるが、打ち欠いて石器を作った場所がそのまま残っていて、石屑が散らばっているそうだ。大型哺乳類の解体場所も見つかっている。

 歯を顕微鏡で観察したところ多くのひっかき傷があった。肉や草を噛んでいて噛みきれないと、石器で切断しようとして歯を傷つけたらしい。歯根部には歯石が付着していたというが、歯槽膿漏で歯茎が下がっていたのか。

 第二部「化石から進化を探る」は本書の中心部分である。霊長類の起源から現生人類までの進化の歴史を、出土資料にもとづく骨格と環境の復元を通して描きだしている。

 人類進化の本は何冊か読んだことがあるが、化石の写真や模式図がふんだんに使われているので理解がとても助けられた。ロンドン自然史博物館が全面協力したということだが、百聞は一見に如かずである。

 ただ『大図鑑』と違って写真の多くはモノクロである。学問的には問題がないのだろうが、モノクロの骨の写真が次から次へと出てくると、気分が滅入ってくる。また猿人や原人の生活を描いたパステル画が随所に出てくるが、『大図鑑』の精巧な想像図と較べるとぱっとしない。

 「ネアンデルタール人のDNA」の章は改訂版で追加されたのだろう、2011年時点の最新情報がはいっている。ネアンデルタール人と現生人類の分岐は50万年前であり、別系統であることはもはや動かしようがない。現生人類の核DNAの3%はネアンデルタール人由来であることがわかり、出アフリカの直後に混血があったことが確実になった。本書は二段階出アフリカ説ではなく、12万年前の北ルートによる出アフリカが失敗せず、そのまま世界に拡散していったという立場なので、混血の場所は中東だとしている。南ルート説をとった場合、交雑の場所が問題になるだろう。またデニソワ人の指の骨からDNAが採取でき、現生人類と混血したことが判明したという。この分野は目が離せない。

 第三部「化石証拠の解釈」は第二部で描かれた歴史をもとに、行動様式と社会構造の進化を考察している。行動様式は最終的には現生人類の芸術活動につながっていく。第二部がハード面の進化だとするなら、第三部はソフト面の進化といえよう。

 ネアンデルタール人の化石の多くに骨折し治癒した痕があることが知られているが、部位別の負傷の割合をロデオ騎手と対照したグラフは興味深い。なぜロデオ騎手かというと、さまざまなスポーツ選手の負傷の割合と比較したところ、ロデオ騎手が一番似ていたからである。

 両者は凶暴な動物を日常的に相手にしているという共通点があるが、ロデオ騎手が頭と手の怪我が多いのに対し、ネアンデルタール人は足の怪我が多いという違いがあった。

 進化心理学を紹介した部分では現代の狩猟採集民の生活から旧石器時代の生活を類推する動きに対し「彼らの社会構造、言語、宗教的なシステムが「先進国」の社会のものと違わぬほど複雑であることを前提にすれば、古代人が彼らに匹敵するものをもっていた可能性は低いだろう」と警鐘を鳴らしている。

 重要な指摘である。レヴィ=ストロースが明らかにしたように、野生の思考は素朴な外見にもかかわらず精緻を極めており、あれほど複雑なシステムは社会的発展の産物と考えるしかないのかもしれない。旧石器時代に人々の精神世界はまた遠のいてしまった。

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