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『サイコパスを探せ―「狂気」をめぐる冒険』ジョン・ロンソン(朝日出版社)

サイコパスを探せ―「狂気」をめぐる冒険

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精神医学批判をロード・ムーヴィーする

 アメリカの精神科診断基準であるDSMを批判する著作が、本国アメリカにおいても少なくないことは、今までも機会あるたびに書いてきた。だが、本作の出来映えは異色だ。鹿爪らしい論評はなく、取材に奔走する経過がロード・ムーヴィーのように繰り広げられて、飽きることがない。反精神医学の旗手R.D.レインの息子が登場して、父親のアルコール依存やキングスレイ・ホールの実情を語ったり、DSM‐Ⅲの生みの親スピッツァーがインタビューに沈黙したり、サイコパス・テスト作成で名高いロバート・ロスが頻々と出没するというだけでも、ワクワクしてしまう。この高揚はゴシップ記事に浮かれる感覚と寸分の違いもない。わたしのなかの俗物根性が、あられもなく暴かれる。奇妙な気分だが、悪くない。

 とはいえ、本書は、三面記事を並べたものとは程遠く、真面目なテーマを扱っている。意表を突くタイトル(原題は“The Psychopath Test-A Journey Through the Madness-”) にもあるように、サイコパスについての取材が軸になってはいるものの、要は、現代の精神医学一般への問題提起が趣旨なのだ。正直なところ、その問題提起自体に斬新さはない。改訂されるたびに分厚くなっていくDSMを揶揄し、マニュアルで精神障害を分類することへの不審・不信を表明しているに過ぎない、と言ってしまっては身も蓋もないだろうか。サイコパスに限らず、いかなる精神障害にもグレーゾーンはあるはずで、チェックリストで白黒つけられるはずはない、というのがロンソンの見識で、健康な常識である。つまり、趣旨は凡庸なのだ。

 だが、本書の面白みは、「伝えたいこと」よりも「伝え方」にある。ウェールズ出身のロンソンはジャーナリストで、本書もノンフィクションには違いないのに、ひょいと錯覚が起きる。冒頭にある奇怪な小包をめぐる事件も、フィクションさながらで、まるで映画を観ているような気分にさせられる。場面の切り替えで頻発する独特のオチには、ヒィ!と失笑させられたが、このユーモアにも映像的効果が加わっているような気がする。ロンソン自身が、映画やテレビ製作に関わる作家で、字面に加えて視覚的センスに長けているという理由もあるだろう。けれども、それ以上に際立つのは、筆者の主観、特に感情が惜しげもなく吐露されていることだ。感情がゴロゴロ転がっているから、読者の感情も触発される。だからこそ、一人称で記されるロンソンの狂気をめぐる旅は、有名無名の登場人物を配した活写エンターテイメントとして堪能できる。GONZOジャーナリスト(主観を排した事実重視のジャーナリストに対比した言葉)と称されるのみならず、多芸に秀でたロンソンならではの芸当だ。

 ロンソンの取材は、次から次へと芋づる式に展開して、欧米を駆け抜ける。ロンドンからスウェーデンへ、アメリカ・インディアナのホフスタッター(『ゲーデルエッシャー・バッハ』の著者)宅へ、サイエントロジスト(端的には反精神医学団体)へ、犯罪精神病院(サイコパス犯罪者が入院)の患者に面会へ、ロバート・ロスの講習会(psychopath spotting course!!)へと忙しい。さらに、サイコパス・チェックリストの講習を受けたロンソンは、リストをポケットに、サイコパスと疑わしき人物(政治犯や大企業の元CEO、元英国諜報部スパイ等など)を続々とインタビューしていく。

 ヒョイヒョイと出遭いを重ねては、シャアシャアと他人に接近する姿は、軽率・軽薄にすら映りかねないが、実際のところ、腰の引けるような人・場所に突撃しているのだ。さりとて、大胆不敵で鼻持ちならない輩に見えないのは、折ごとの不安や打算の内実を自虐・自嘲が過ぎない程度に晒しているからだろうか。この筆致は、明らかに計算されたものだろうが、ユーモアと洒落っ気にくすぐられて、(少なくともわたしは)易々とロンソンの旅に便乗してしまう。

 展開の面白さに目を眩まされるようだが、机上のリサーチも周到であることを加筆しなくては公平でない。60年代の精神医療の歴史も窺うことができるし、時代の寵児となった精神科医らの顛末や、現在の様子まで知れる。現代精神医療のあり方のみならず、時代の潮流を辿る視点が、本書に深みを与えている。「あの人は今」的なドキュメンタリーとなっている俗っぽさも、生身の人間と関わることで知りえた歴史の語り部として、ロンソンの真骨頂を伝えている。

 古川さんの翻訳も上手い。深刻なテーマを頓知なノリで綴っていくロンソンの調子に見合った日本語を使っている。

 ちなみに、表紙は、本国イギリス版のものと酷似している。逆立つ髪にジョン・レノン風の眼鏡をかけた人物は、ロンソン自身のポートレートのようだ。アメリカ版は、豹がウサギに飛び掛らんとするイラストで、サイコパスの猟奇性を前面に出しているが、イギリス・日本版では、著者自身が表紙を飾っているというわけだ。実物のロンソンはTEDでも鑑賞できる。背景スクリーンに展開するイラストも洒落ているし、BGMにライブ・ミュージシャンを引き連れて登場する本人も絵になっている。最新作の“Lost at the Sea”(2013 )でも、ロンソンのコラム・オムニバスが楽しめるが、道中を共にする旅の醍醐味といえば、本書に軍配を上げる。


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