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『裁縫女子』ワタナベ・コウ(リトルモア)

裁縫女子

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 細かい手順を大胆に省略し、初心者でも手早く簡単にできる「クイック・ソーイング」をあみだし、裁縫教室やテレビ番組で講師をつとめてきた著者。イラストレーターでもある彼女が、これまで教室で出会った生徒たちとのエピソードをつづったコミックエッセイ。

 自分の実際のサイズを無視してMサイズの服を作ろうとする。スカート丈80センチに固執する。チャコペンシル(布に印をつけるための裁縫用のペン、消えるものと消えないものがある)で布の表側に線を引いてしまう。初心者なのに縫いにくい生地をわざわざ選んでくるなど、大人げない生徒たちと、教室のスタッフ(教室を主宰するミシン会社の関係者)との板挟みにあいながら、ソーイングの道を説いてゆくコウ先生。

 1960年代までは、服を買うということはまだ一般的でなく、既製服は「ツルシ」とよばれ、質の悪い安物扱いだった。1970年に創刊された「アンアン」が、型紙を載せないはじめてのファッション雑誌であったとは本書にも紹介されているが、それまでのファッション誌には、グラビアでモデルが着ている服の型紙が必ず巻末についていた。洋服は自分で服地をもとめて縫うか、あるいは誂えてもらうものだったのだ。

 少女のころ裁縫に目ざめ、裁縫の得意な祖母に訓練されたという著者は、着ている服はほぼ自分で縫うという、筋金入りの裁縫家である。いっぽう母親は、「裁縫をする女など古い、これからの女の子は勉強ができなくてはいけない」という戦後民主主義を信奉する女性であった。そんな母と祖母の間で、著者は裁縫と同じく勉強もよくしたのであろう、東京外語大に入学するも、中退、その後ソーイング教室でアルバイトをはじめ、それをきっかけに裁縫の道へ。

 独自のメソッドによって、誰にでもできる初心者向けのソーイングをうたっている著者だが、教室をはじめた当初は、自分よりも年上の、はるかに裁縫歴の長いであろう「ソーイング・マニア」の人たちから、そんなやり方は邪道だと叱られたという。

 このエピソードは、もはや裁縫が女性にとって必須項目でなくなった今日の「女と裁縫」の関係の一面が表れているようだ。誰もがしなくなったからこそ、裁縫ができることは特別なことになる。手間ひまかけて磨いた技をそう簡単に他人に習得されては困る、というのが「ソーイング・マニア」のいいぶんだ。その技術を人に認めてもらうことこそが、彼女たちの欲望なのである。

 服は買うのが当たり前の今日、それでも裁縫をマスターして自分で服を作りたいというとき、その動機はどこにあるのだろう。ものづくりが好きだからか、自分に合ったサイズやデザインのものができるからか、買うよりも作ったほうが経済的だからか。女にとって裁縫とは何か、それが本書の隠れたテーマでもある。

 著者が裁縫を教えるまでになったのは、やはり裁縫そのものが好きだったためだろう。そんな彼女のもとに集まった生徒たちは、教えられたことのうわべだけをなぞり、自分で考えることをせず、かといって人の言うこともきちんときかず、失敗は人のせいにしたりして、ときに先生を困らせる。一回の講習で、課題の服を失敗なく縫いあげることよりも、自分の手と頭を使って裁縫をする楽しさを知ってもらいたいと先生は願っているのだが、生徒との間の溝はどうにも埋めがたい。その食い違いはまるで、著者の「裁縫とは何か」という問への答えを導き出すための試練のようなのだ。

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