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『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』工藤美代子(メディアファクトリー)

もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら

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 お盆の時期になるとよくTVで、怪談や心霊話を扱った番組が放送される。そういうものが苦手で、子どものころは、その手の話で盛り上がりそうになると、嫌がって耳をふさいだり歌をうたったりといった幼稚な行為にでてその場をしらけさせる、いわゆる「空気の読めない」タイプの私だったが、そういう場面に出くわすこと自体もうなくなった。

 この本は「幽ブックス」というシリーズの一冊で、「日本唯一の怪談専門誌」である『幽』という雑誌に掲載された、著者の不思議な体験が集められたものだ。そういう雑誌があるということは、その手の話が好きな人は、いるところにはいるのである。

 怪談嫌いの私がなぜこの本を手にとったのか。本全体にそれっぽいたたずまいがなかったから、というのもあるかもしれないし、まえがきを読んでみて、その先のページを繰る気になったというのもあるが、どちらも後付けの理由という気がしないでもない。

 まえがきには、著者がノンフィクションライターとして仕事をはじめようというとき、友人からされた助言についてが記されてある。「嘘を書かないこと」と「盗作はしないこと」。友人に言われたこのふたつを守ることが、ノンフィクションの作家としての基本と信じ、著者は仕事をしてきたのだという。

 エンターテインメントとしての怪談話が脚色されるのは当然のことだ。聞き手がそれに何を求めるかにもよるけれど、怖い話から得られる恐怖心という刺激が私は苦手なので、著者が、作家としての基本を守り、自らの奇妙な体験を書いているというこの本なら、徒らに恐怖心を煽られる心配はない。けれど、怖いのは嫌だが、理屈では説明のつかない不思議な話に惹かれたのもたしかなのだ。このあたりの心理を掘り下げて、人の説明するのはむずかしい。

 ところで、不思議な話というものを信じるか否かといえば、「霊は存在するか」と聞かれると答えに窮するが、怖い話は嫌いでも、世の中にはそういう出来事もあるだろうとは思っている。

 それとは別に、不思議だなあと思うのは、著者の、いわゆる心霊現象とか、幽霊とかいうものに対するスタンスである。自分には霊感はない、むしろ鈍感だと書く著者だが、死期の近い人がわかったり、他の人には見えていない人が見えるのである。それが世に言う「霊感がある」ということだろうに、著者はかたくななまでに自分は鈍感、と言いはる。

 ノンフィクションの作家としての矜持からくる、「霊感がある」という表現への違和感もあるのかもしれない。しかし、彼女はどうやら、子どもの頃から、身辺でおこる不思議な出来事に対して、さしたる注意を払ってもいないし、怖いとも感じてはいないのだ。ここに集められたエピソードの不思議さよりも、著者のその感覚の不思議さのほうが際だっていると思う。

 それぞれの話について説明する必要はないと思うのでしないが、よくよく考えると、怖いなあ、と感じたところがひとつあった。著者はまえがきでこんなことを言っている。

 私の勝手な想像では、忙しい現代社会に生きている人の八割以上が、なんらかの形で彼らと出逢った経験があるのではないだろうか。

 彼ら、というのはつまりもうこの世のものではない人たちのことである。どういう根拠から知らぬが、「八割以上」という具体的な数字が書かれてあるのも怖い。私ももしかすると、彼らとどこかであったことがあるのに、気づいていないだけなのだろうか。けれどもそれでは「経験がある」とはいえないだろうし……。

 そのように書いてしまうくらい、著者にとっては、彼らはごくあたりまえに、いろいろなところに存在しているものだということなのだろう。読み終わって、思わず仏壇に手を合わせた。


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