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『女の旅 ―幕末維新から明治期の11人』山本志乃(中公新書)

女の旅 ―幕末維新から明治期の11人

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 みまわせば、旅好きなのはきまって女子。ひとり旅、友だちとの旅、三十過ぎたころからは母親とのふたり旅というのもよく話にきくようになった。留学経験があるのも女子が多い。特に、一度学校を卒業して社会へ出てからふたたび海外で学ぶという例は、私の知る限り女子のみである。


 女性が盛んに旅に出かけるようになったのは戦後、70年の万博のあと打たれた国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンとそれを受けての「アンノン族」の出現からといわれる。それでも、思い起こすと私の子供のころにはまだ、女のひとり旅はしにくい、というような物言いを耳にしていた気がする。今ではそんな話はきかれないし、それどころか女でも、おひとりさまでも、どうぞ旅してくださいとばかり、あらゆる旅のプランやサービスが市場にあふれている。

 旅の大衆化のはじめは江戸後期にさかのぼるという。名所図絵のブームによって旅の情報が人々に行き渡り、伊勢参りが広く行われるようになり、旅行エージェントの先駆ともいえる御師が活躍した。しかし、関所の「改め」が男性より厳しく、歩くことが基本だったため身の危険もあり、女性が旅をするには大きな制約があった。

 交通手段の発達と旅行会社の出現。近代化の波は、さらなる旅の大衆化を進めた。それは、女性が旅することも可能にはしたが、それでもまだ一般的なこととはいえず、ここに挙げられた11人の女性たちの旅は、「大衆化とはまったく別の次元」でのことであった。

 夫の死後出家し、その後の四十年を俳諧の旅に過ごした田上菊舎。尊王思想に導かれて五十一歳で京都へと〝出奔〟した松尾多勢子。日本で初めて新婚旅行をしたといわれる龍馬とおりょう、龍馬亡き後の楢崎龍の流転の日々。初の女弁士岸田俊子の全国遊説の旅。

 わずか六歳で官費留学生として米国へ渡り、帰国後の苦悩の日々のなかでふたたび留学を果たした津田梅子。山頂での気象観測にかける夫を助けるため、真冬の富士に登った野中千代子。単身渡欧、そこで旅芸人の一座を起ちあげ、巡業の日々を送った花子。

 上海で教職に就き、のち官命によりモンゴルの教育顧問として赴任した河原操子。駐日の外交官と結婚、夫の里帰りに同行にボヘミアへ渡り、そこで夫が急死したため日本へ帰ることなくこの地で子供たちを育て上げたクーデンホーフ光子。幼い頃からの海外への夢をアメリカ移民との結婚によって果たし、そこで美容の道へ進み日本初の美容院を開業した山野千枝子。そして、イザベラ・バードの日本への旅。

 旅を、ビジネスか観光かで二分されるようなものとしてでなく、日常生活の圏外への移動というふうにとらえて、そのきっかけや動機について考えてみる。

 人それぞれ、であるのは女も男も同じだろう。やむなき事情というのもある。漂泊の人生、留学、遊説、結婚、あるいは時の政府の命によって、家族の突然の死に際してなど、本書にある11人の旅もさまざまな経緯がある。けれど、彼女たちの人生について読むと、女にとって旅の動機は、今の生活とそれをとりまく状況からの脱出そのものにあるのではないかと思える。

 旅の大衆化の結果としてのこんにちの「女子旅」にもそれはあてはまるのではないか。旅がしやすく、そのアイテムもよりどりみどりなため、口に出して説明すれば、そこに行きたい、あれが見たい/欲しい/食べたい、あるいは何かを学びたい、というふうになるだけなのだ。女の旅は、次元の違いこそあれ、つまるところ現状から一時脱け出したいという欲求がさせていることなのかもしれない。


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