『London Compendium : A Street-by-street Exploration of the Hidden Metropolis』Glinert, Ed(Penguin Books Ltd)
ロンドンの町並みから強い印象を受ける人は意外と少ないのではないかと思う。それぞれをよく見ればジョージアン様式(John Nash設計のブラントンのパビリオンなど)、ヴィクトリア朝様式(国会議事堂など)、エドワード朝様式などに大別できるのだが、それがわかったところで、見たところ四、五階建ての大きな建物がただ横に並んでいるだけの様子であって、中に人が住んでいるのか、あるいは事務所や会社や歴史的施設があるのか、表から見ただけでは一向に分からない。分からないことにはもちろん面白くない。
しかしロンドンは長い歴史を持つ大都市であって、街角一つとっても物語に実に事欠かない。フリス通りの20番地にはモーツァルトが住み、カーゾン・プレイス通りの12番地ではママス・アンド・パパスのパパが、9番地ではザ・フーのキース・ムーンが死んだ。チェスターフィールド6番地ではサマセット・モームが所謂南海ものの傑作「月と16ペンス」を書き上げ、パーク・レーン通り87番地は第二次世界大戦中シャルル・ド・ゴールの亡命政権本部があった場所であり、ディーン通り69番地にはキュアーのロバート・スミスに「来る人はいいけど音楽は最低」と言わせた伝説のクラブ「バット・ケイブ」がかつてあり、セヴィル・ロウ3番地の屋上ではビートルズがゲット・バックを演奏した。個人的にはこの本は現在の事務所を引越しするときに役に立った。大英帝国諜報機関のMI5が入っていたビルに空きが出たと言われれば見せてもらい、ヴァージニア・ウルフが自らの出版社Hogarth Pressを構えた場所の空きを見張った。縁がなかったのか、結局は特に由緒もゆかりもないビルに入ることになったが、通りの記憶だけは残った。(林 茂)