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『Strange Histories』Darren Oldridge(Routledge)

Strange Histories

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グロテスクな表紙だが内容は理性的な一冊である。魔女狩りは現代の目から見れば狂信が生んだおぞましい現象に思えるが、当時の人々にとってみれば至極まともな考えに基づいている。中世の人が現代人の行動を見たとしたら、我々の日常は彼らには狂信と映るだろう。それどころか当時の書物の多くは正統の神学者によって大真面目な意図で記述されたものであり、決してカルトが大多数を占めるものではない。魔女狩りのテクストとして有名な「魔女の鉄槌」(Malleus Maleficarum)(1486年)も決してカルトの著作物ではない。今日では俗信として扱われる<天使>や<悪魔>などの考えは聖書やダニエル書にその典拠を持つ。天使についての記述は旧約聖書のソドムとゴモラ、悪魔については新約聖書マタイ伝の荒野の試練がもっとも有名な典拠だろう。天使信仰に至っては十七世紀においてプロテスタントカソリックの両方に受け入れられているのだ。フランス・プロテスタントの開祖ジャン・カルバンはその著書に「天使は神の怒りの大臣だ」と記した。考えてみれば聖書に書かれていることをプロテスタントが受け入れるのは当然である気もするのだが、逆にこれは天使崇拝が俗信ではなかったことの証しである。

澁澤龍彦は自著「悪魔の中世」を本邦におけるこの分野の初出であると自ら告白している(後年の文庫版あとがき)。桐生操の「黒魔術白魔術」は魔女狩りの残酷刑の数々を列挙している。「魔女」=「オカルト」という図式はこれら累々たる書物が作り出したものだ。ついては1602年にドイツの「黒い森」で行われた魔女裁判についての好例が本書にある。

魔女と目された女性が裁判にかけられる。人智を超えた判決が下される。もし裁判所内の三つのポイントを、熱く燃えた鋼鉄を素手で握りながら無事通過し、その手の炎症が程なく癒えるのであれば、彼女は魔女ではないであろうと。果たして、三つどころか六つのポイントを通過し、さらにもっと運ぶこともできるとも宣言し、遂には無罪となった。しかし後にドミニコ派修道士シュプレンゲルは前述の「悪魔の鉄槌」でこの裁判の例に触れ「彼女の手は悪魔によって保護されたのだ」と記した。

これら全ては大真面目な神学によるものであり狂った裁判ではない。本書はフランスで首吊り刑にされた豚や、空飛ぶ魔女(ブリューゲルにお馴染の題材だ)、狼男などの典拠とその受容の記録を中世から近世欧州の社会史に照らした力作。オカルトの不気味さを求める向きには物足りないかもしれないが。

(林 茂)

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