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『A Year in the Life of Richmond』Jackson, Joanna(Frances Lincoln Ltd Published )

A Year in the Life of Richmond

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 リッチモンドはロンドン南西郊外のテムズ川沿いにある町。かつてリッチモンド・グリーンの位置にはヘンリーⅦ世やエドワードⅢ世などの歴代イギリス王が住んでいた王宮があり、エリザベスI世はここで他界しました。今はただ門構え一基だけが残っています。一時はこの町の住人だった20世紀初頭の小説家、ヴァージニア・ウルフの手紙によると、

 リッチモンド・グリーンは住むにはとても魅力的な場所でした。17番はグリーンの東側にある古くて頑丈な建物で、南側には素敵な「メイド・オブ・オナー」と古いリッチモンド宮殿の跡がありました。部屋割りもいい具合で二階からはグリーンが見渡せました。

 リッチモンドの丘の上には見事なテラスガーデンズがあり、晴れた日には遠くはウィンザー城まで見渡せます。ここはイギリスで唯一、眺めそのものの保存が議会で定められている場所です。「四季」の詩人のジェイムス・トムソンやアレクサンダー・ポウプがその景観を詩にうたっています。テート・ブリテン美術館には風景画家ターナーが描いた「リッチモンドヒル」の絵がありー絵自体はターナーの作品としては出来の悪いほうに属しますがー往時の社交界の様子が伺えます。他にもココシュカやレイノルズがリッチモンドヒルの景色を絵に描いています。今もこの丘の住人であるミック・ジャガー率いるローリング・ストーンズはこの町でのギグでバンドとしての最初の成功を収めました。Bill Wymanは著書”Rolling with Stone”の中で、ライブハウス「鰻パイ」に400名の観客を集めたバンドの初めての大成功について語っています。

 前述したヴァージニア・ウルフはこの土地に自宅兼印刷所を構えました。ハイ・ストリート(商店街)北側を通るパラダイスロードには「レナードとヴァージニア・ウルフがここにホガースプレス(Hogarth Press)を設立せり」のブループレートが付いた建物が残っています。私が町の古い書店で買い求めた小冊子「ヴァージニア・ウルフとホガース出版社」(リッチモンド歴史協会刊行、一冊£1.95)によると、当時精神を病んでいたヴァージニアは私家製印刷のアイデアにすっかりはまり込んだらしく、手紙の中でこう語っています。

 私たちの印刷機が火曜日到着した。包みを開けるときは凄く興奮したわ。最後はネリーの手を借りて居間に運んだの。台に取り付けてみて分かったんだけど印刷機は半分壊れていたのよ。しかも、もの凄い重さでネジを取り付けられない。だけど店の方ではスペアパーツを持っている筈よ。印刷っていう仕事はこういうことなんだってことがわかった―大きな活字の塊があってそれを別々の文字や字体毎に分け、正しく仕切る。例えばh’sとnsを取り違えてしまった時など作業は膨大な時間がかかってしまう。私たちは夢中になってしまって途中で止めることができなくなってしまった。本格的に印刷を始めるようになると私の残り人生全てを食われちゃうんじゃないかと思う位。これからキャサリンマンスフィールドに会いに行って話しを貰ってこようかと思っているところ。。。。

 映画「めぐりあう時間たち」は当時の話を大幅に脚色したものでニコール・キッドマンがヴァージニア役を演じています。ヴァージニア・ウルフには他にも近隣のキューにある王立植物園を題材にした短編傑作「キュー植物園」があります。

 リッチモンドテムズ川沿いにはパブが何軒も立ち並び、春から夏にかけての夜長ともなると人々が集まってきて、川岸に足を投げ出したりしながら、ビールを楽しんでいます。四年間住んだ美しいこの町を離れるのはさびしい想いもしますが、いつか再訪の機会が訪れることをいのることにしたいと思います。

(林 茂)

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