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『考えすぎない生き方』 深澤真紀(中経出版)

考えすぎない生き方

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「震災後の不安だらけ世界で、歯車として淡々と生きる」

 3月11日の震災から、いつものようにものを考えることができない、書くことができなくなってしまった。3月から新しい土地(豊橋市)、新しい現場(転職しました)になったため、公私ともに忙しくなったことと重なり、この書評欄も更新する余裕がなかった。申し訳ありません。再開します。

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 タイトルがいい。「考えすぎない生き方」ですから。被災をしているわけでもないのに、地震による社会の変化や将来の不安を考えすぎてしまう。これから日本中で震災の影響が、身近な生活であらわになっていきます。いまこそ「考えすぎない思考法」は必要でしょう。

 著者の深澤真紀さんは、編集企画会社の社長であり、現役の編集者・ライター。「草食男子」という言葉をはやらせた人物です。

 フリーランス(自営業)、会社員(被雇用者)、そして経営者の3つの経験がある人物です。そういう人が、どういうふうに人生を乗り切ってきたのか? こういうマルチな経験をもった人は、この国ではまだ少ないので、その思考法は貴重です。

 冒頭から「人間は誰でもみな、社会の『歯車』だ。考えすぎないで『歯車』として回っていこう」と挑発的です。多くの人は、自分は歯車になんかならないぞ! 自由を愛するのだ! と思っているのではありませんか? 私はそうでした。

 「しかし、歯車ではいけませんか? 歯車では本当にダメなのでしょうか?」

 「歯車は、物事を動かしていく大事な要素なのです」

 

 「私たちはどんな存在であれ、組織や社会を支える歯車なのです。そして、歯車がなければ、会社も社会も回らないのです。

 こんなふうに『歯車』という言葉を見なおしたいと思っています」

 雇用されている会社員には、それぞれ役割がある。典型的な歯車ですね。では雇用している社長は自由なのか? 上場企業であれば株主や銀行から自由になれません。中小企業の社長も、銀行や取引先から自由にはなれない。社長はお金を沢山もっているではないか?という人がいるかもしれませんが、そのお金は社員の給与であり、取引先に支払うお金であったりします。自由になるお金は、そういう経費を差し引いた残りです。そう考えると、社長もまた資本主義社会のなかの歯車の一つです。

 機械と人間が違うのは、人間には感情があり、加齢によって衰える肉体がある、ということでしょう。ゆえに、歯車として生きることへの葛藤がある。

 しかし、著者はいいます。いい仕事をしている人は、歯車としての自分の役割を全うしている人ばかりだった、と。

 たしかにそうなのです。全人格的に、総合的にひとりの個人を見て、歯車ではない人間としてつきあうことは可能なのでしょうか。家族に対しても無理でしょう。

 私たちは知らず知らずのうちに、自分の役割を忘れたい、そこから逃げたいと思う動物なのかもしれません。

 独立して10年たった著者が、2つの教訓を開示しています。

 ひとつは「金のための仕事はしないが、金にならない仕事もしない」。金と理想のバランスをとる。

 もうひとつは「仕事だけを趣味にせず、生きがいにもしない」。仕事はうまくいかなくなるときがある。そのときは生きがいまでなくしてしまう。

 

 著者は、仕事とは「お金」と「理想」と「分担」(歯車ですね)のバランス、と書いています。そこからこの2つの教訓が導かれたというのです。

 なるほど、と思いました。

 お金か理想か? という二元論ではない思考法。分担(歯車)という要素をいれて、バランスよく生きることが仕事であり、生活なのだ、という発想。これが「考えすぎない生き方」です。

 


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