『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』岡崎照男訳(立風書房)
初めて手に取ったのは、原宿の裏にある図書館の書庫。
高校生だった私は青春特有のなんだかもやもやした感情をもてあまして、よく書庫にこもっていた。
書庫のハシゴに腰をかけてパラパラ読んでいくうちに、自分の今の生活がいかにさまざまなものを失っているか、ということを思い知らされた。
「たくさんの物がパパラギを貧しくしている」
と鋭くつっこむツイアビ酋長の言葉。
クーラーの利いたこじゃれた原宿の図書館にいる私は、足元からてっぺんまでじろじろ見つめられているような、居心地の悪い気分にさせられたことを今でも鮮明に想い出す。
そして時は過ぎ、20年近くが経過して再び出会った「パパラギ」で、ツイアビ酋長の言葉を私はとてもやわらかく穏やかなキモチで受け止めることができた。それは、3人の子どもを体内に宿し、産み、世に送り出した後だからだと思う。
自分の足跡を、くっきりと、べたべたと付けてきてしまった。逃げも隠れもできない。そんなひらきなおりと共に、子どもとの暮らしが、大切なものを見極める力をくれているのだ、と勇気づけられた。
バブルははじけ、真の豊かさとは?と皆が問うようになった。
「ロハス」なぞという言葉もうまれた。
80年代、「21世紀への必読図書」と、熱狂的にパパラギを読み、ベストセラーとして取り上げてきた人たちは、今どうしているのだろうか。
ツイアビ酋長はそんな世の中を、きっとどこかで笑っているだろう。
美しく、豊かに生きることを知っている彼らから見たら、ちゃんちゃらおかしいに違いない。
土の上にたち、光や風を感じ、「今、ここ」にある自分を感じ、生きること
この、子どもたちから教えてもらったおそろしく単純で、そして実行するのに勇気がいる作業をくりかえして身につけていくこと(きっと幼いころにはできたことなのだろうけれど)
私の「パパラギ」に再び出会っての小さな決心なのである。