『涜神』ジョルジョ・アガンベン(月曜社)
前々から気になっていた概念に、ゲニウスがある。ラテン語の辞書をひくと、創造力、生のエネルギー、創造的な霊で、とくに身体の善、誕生、誕生日、結婚などにかかわるもの、社会的な享楽の霊、善き生活への好み、パトロン、天才などと記載されている。建築学の分野では、ゲニウス・ロキ(地霊)という概念として展開されているものだ。
これが気になるのは、ギリシアのダイモーンやローマのペルソナと近い概念であるだけでなく、ベンヤミンや初期の論文でインファンスと女性とからめて考察しているからだ。たとえば次のような文脈で登場する。
まず女性的なものについてベンヤミンは次のように語る。創造的な精神(ゲーニウス)は女性的なものの存在を通して生きているからである。……作品であれ、行為であれ、思想であれ、それらがこうした女性的なものの存在について何ら知ることなしに生み出される場合には、必ずやそこに、悪と死が含まれる(『来たるべき哲学のプログラム』(道籏泰三訳、晶文社、三二一ページ)。
そしてインファンスについては「道徳的な無言性、道徳的な未成熟性(インファンティリテート)のなかにゲーニウスが誕生するという逆説こそ、ギリシア悲劇のもつ崇高さにほかならない(ベンヤミン「運命と性格」浅井健二郎訳、『ドイツ悲劇の根源』下巻、二一二ページ)と語っているのである。
この書物のいたるところにベンヤミンの影があることから考え、おそらくベンヤミンのこうしたゲニウス論に刺激されて、この概念を一本の導きの糸として考察を展開したのが、アガンベンのこの書物である。アガンベンは「古代ローマ人たちは、各人が生誕の瞬間にその保護下に置かれる神をゲニウスと呼んでいた」(七ページ)と、この書物の冒頭で説明する。しかしこの保護神のような存在は、「きわめて親密で個人的な神」であると同時に、「わたしたちのなかにあって最も非個人的なものであって、わたしたちのなかにあってわたしたちを超越し凌駕するものの化身」でもあるのであ(一〇ページ)。
これは「最も近くにあるものが最も遠くにあって制御不可能」であるという事態なのだ(一三ページ)。アガンベンがここでゲニウスをフロイトの「不気味なもの」や「不安」の概念と同じ文脈で考えているのは明らかだろう。抑圧されたものは不安となってぼくたちを脅かし、ときには「病理学的形式において再び現れる」(六六ページ)ものでもあるからだ。それは「地下聖堂」として心の内部に秘められたもの、ぼくたちが日常において意識しないものであるとともに、もっともぼくたちの真の姿を明かすものでもあるのだ。
このゲニウス的なものは、スペキエース的なものとして、鏡のようにぼくたちの隠れた顔を写しだす。「鏡は、わたしたちが像をもっていることを発見すると同時に、それがわたしたちから分離されうること、わたしたちの〈外観〉あるいはイマーゴがわたしたちには属していないことをわたしたちが発見する場所でもある」(八〇ページ)のである。
そしてこのゲニウス的なものは、自己の内部だけではなく、他者や品物として現れることもあるとアガンベンは考える。「ベンヤミンが〈薄明のような〉と表現する半分が天の聖霊で半分が悪魔のインド神話のガンダルヴァに似た」(四〇ページ)、奇妙な存在であり、カフカの小説に登場する「助手」であり、ぼくたちを裏側から援助してくれるものだ。品物のうちにもこのようなゲニウス的なものは存在する。「半ば思い出の品であり、半ばお守りでもあるような」(四三ページ)無益な品物、それでいて誰もそれを敢えて捨ててしまうことのできないものである。
この無益な品物のうちに住むゲニウスは、ある意味ではベンヤミンの天使に近いものである。ベンヤミンは「アゲラシウス・サンタンデル」で、「天使は、わたしがかつて別れざるをえなかったあらゆるもの、人間たち、そしてとりわけ物たちに似ている。わたしがもはや所有していない物たちのなかに、天使は住んでいるのだ」と書いているからだ(『来たるべき哲学のプログラム』前掲書三六七ページ)。
しかしアガンベンは同時に、ベンヤミンの「宗教としての資本主義」を考察した「涜神』の章では、資本主義の「大祭司」こそが、この天使の裏の顔であることを指摘する。「玩具が、それの使われた遊びが終わったとき、いかに残忍な不安の種となりうるかを、子供ほどよく知る者は誰もいない」のであり、よこしまな魔法使いがそれをつかまえて呪いをかけ、わたしたちに危害を加えるために使うこともできるのである。このよこしまな魔法使いは、資本主義という宗教の大祭司である」(一二七~一二八ページ)と。
この魔法使いの「裏をかく」のはどのようにして可能か。それを問うことこそが、「来るべき世代の政治的課題」(一三五ページ)であるというのが、アガンベンの最後の言葉である。そしてこの課題は、未来の世代の課題であるだけでなく、ぼくたち読者に問い掛けられている問いでもある。
【書誌情報】
■涜神
■上村忠男,堤康徳訳
■月曜社
■2005.9
■139p ; 18cm
■原タイトル: Profanazioni.
■4-901477-19-6
■定価 1800円