『スラヴォイ・ジジェク』トニー・マイヤーズ(青土社)
「ジジェクを楽しむためのガイドブック」
ジジェクはたしか一回セミナーでの講演を聞いたことがある。髭の濃い人物が話し始めると、ある種の異様な熱気のようなものが放射されるような印象をうけた。かなり訛が強く、ある一つの母音の発音がぼくたちの慣れているのと違うので最初は戸惑ったが、そのうち慣れてくると、話に引き摺りこまれる。その後の質疑応答も、とてもさかんだったと記憶している。
ジジェクの文章もまた内部で回転するドラムの音を聞くような不思議な魅力がある。この本はジジェクの文章の魅力を解明しようと試みたものであり、それにしっかりと成功していると思う。まず著者は、ジジェクの文章がマイナーで猥雑なテーマを扱うことに注目し、そこに一つの戦略をみいだす。
ジジェクは、トイレの話題とか、サドマゾヒズムなど、「伝統的な哲学なら扱わないはずのものに目を向ける」(p.17)のである。「つまりジジェクの主題は、哲学の言説における穴である。この穴は、ふつうなら、正しい理論の主題域を作り上げるために、理論の領域から排除されているものだ」(ibid.)。しかしジジェクの巧みなところは、この領域を正面から扱うのではなく、「伝統的な哲学の視点から」取り上げるところである。
この伝統的な哲学の視点というのが、ヘーゲルの弁証法の論理とマルマスの論理とラカンのシステムである。ジジェクはほとんどこの三つのシステムだけで済ませてしまう。それでいて、このシステムを互いに「翻訳する」(p.19)ことで読者の目を眩ませ、読者を飽きさせることがないのだ。そしてこの翻訳のプロセスを通じて、「ハリウッドのシステムがジジェクのシステムへと」結びつける力業をらくらくと演じてみせるのである。
訳者は、「ジジェクの入門書なんていらないんじゃないの」とレトリカルな問いをしているが(p.251)、ジジェクは解読し、分析することの楽しい文章を書くのだ。その背後で作動しているシステムが単純であり、しかもそれ現われが多様なものだからこそ、解読が楽しくなるのである。
ジジェクのシステムと基本概念さえわかれば、読者はジジェクの文章をもっと味わい、その背後の論理を楽に見抜くことができるようになるだろう。そして彼の手つきを借りて、もしかしたら手品のような(笑)映画分析だって書けるようになるかもしれない。その意味でも、ジジェクの解説本はまだまだ書かれるべきなのかもしれない。
本書ではさらにジジェクの伝記的な説明が詳しくて参考になる。どんな場からどんな背景で、この異貌の人物が登場したのか。現代思想の世界で奇妙なまでに特異な力を発揮しているジジェクの思想のシステムの秘密を知るためにも、その経歴は興味深い。詳しい読書案内も有益だ。
【書誌情報】
■トニー・マイヤーズ著
■村山敏勝他訳
■青土社
■2005.12
■259p ; 20cm
■シリーズ現代思想ガイドブック
■原タイトル: Slavoj Zizek.
■著作目録あり
■479176224X
■定価 2400円