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『トラウマ・歴史・物語-持ち主なき出来事』キャシー・カルース(みすず書房)

トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事

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「トラウマと死の欲動

心的外傷とも訳されるトラウマという概念は、最初は精神分析の世界で使われていたものだった。フロイト第一次世界大戦の兵士たちがかかる奇妙な神経症の症状に注目した。この戦争の歴史を変えた初めての近代的な戦争において、死の危機に直面して生き延びた兵士たちが、悪夢の瞬間を際限なく反復し、兵士の任務をはたせなくなっていたのである。

外傷神経症にも似たこのような兵士の神経症は、最初は仮病とみなされて処罰されたが、この疾病の利得よりも害のほうが本人の兵士にとっても大きいことが明らかになってから、これは疾病であることが認識されるようになった。フロイト精神分析が医学界で正式に注目されるようになったのは、このトラウマの治療に役立ったことが大きく貢献した。第一次大戦後の精神分析の国際大会には、ヨーロッパの数か国の政府の代表がオブザーバーとして参加しているのである。

現在ではトラウマはPTSD(心的外傷後ストレス障害)としてごく普通に語られるようになった。生命の危機に直面した人々は、自分が生き延びていることを喜ぶだけでなく、それをあたかも恨むかのような障害を起こすことがあるのである。本書は、このトラウマの記憶のもつ意味をさまざまな観点から考察しようとするものである。

最初の章ではフロイトの『モーセ一神教』を中心に、トラウマの概念が登場した背景を探ろうとする。フロイトナチスの迫害から逃れてロンドンに亡命してから、この書物に執筆に熱中した。ウィーンから離れるのが遅すぎたために、娘のアンナはゲシュタポに逮捕されたこともあり、フロイトの五人姉妹のうちの三人はアウシュヴィッツで死亡、一人はゲットーで飢え死にしている。

フロイトにとっては、自分はロンドンに逃れることで「生き延びた」のだが、家族を救うことはできず、そのことに辛い思いをしたのだった。そしてフロイトは『モーセ一神教』の中でユダヤの民の歴史を追跡しながら、生き延びることの意味を問いつづける。そしてユダヤの民を、トラウマに巻き込まれながら歴史を作った民として考察するのである。この書物での「フロイトの洞察の中心は、トラウマ同様、歴史もまた決して一個人のものではありえず、互いのトラウマに巻き込まれるそのかかわりあいそのものが歴史となるということ」(p.35)だったのである。

第二章はデュラスとレネの『ヒロシマ私の恋人』を小説と映画の両方から考察し、記憶と想起のテーマを展開する。日本人男性とフランス人女性は、たがいに生き延びた歴史のうちで、トラウマをかかえていたのであり、そのことゆえに、たがいに理解かしあい、愛しあうことができるようになった。しかしこの物語が明らかにしているのは、愛し合うふたりが語りかけているのはたがいにまったく別の人物であり、まったく別の物語を語っているということだった。「呼びかけあうことで互いを理解しようとするうち、その理解に裂け目を作り出すようなそんな関係にあってこそ、二人のトラウマ的歴史は、各々別々の歴史として出現してくる」(p.62)しかないのである。

第三章ではふたたびフロイトの『モーセ一神教』と『快感原則の彼方』に戻りながら、トラウマと生存の問題がとりあげられる。ここで孫のエルンストの「いないないばあ」遊びが取り上げられるが、これは第五章のラカンの考察とうまく符号する。エルンストは母の不在という経験をみずからコントロールすることで、大きな喜びを得てていたのだが、それはみずからの死を先取りするという意味ももったのであり、その反復にはどこか外傷神経症と共通するところがあったのである。

フロイトはここから死の欲動という概念をとりだすが、この概念はトラウマと深く結びついている。この概念を歴史との関係で考察してみれば、著者が語るように、「歴史の暴力性が人間精神に与える破壊的な力が実在すること」と「歴史が、過去の暴力を果てしない反復していくことで形成される」ということだろう。トラウマは目をふさぎたいところへと無意識のうちに連れもどす力があるのであり、自分の一番やりたくないことを反復させる力があるようなのだ。

第四章のド・マンの文章をめぐる考察は、トラウマ論としてはどこか掘り下げが足りないような印象をうける。カントとクライストのテクストをめぐるド・マンのこの文章は、デリダの『パピエ・マシン』を訳したときからずっと気になっている。この文章の分析はぼくの宿題ということにしておきたい。

最後の章のラカン論は、トラウマの倫理的な契機を考察して興味深い。ラカンフロイトがあげている蝋燭の夢を分析しながら、「トラウマ的出来事は偶発的に起こったように見えるが、実は、それは、意識の中心にある基本的かつ倫理的ジレンマが表出したものである」と考えていることを指摘する。「現実界と倫理的な関係を結ぼうとしてわれわれはめざめ、それは、人間の意識の核心にとって応答不可能な要請として現れるというかたちでしか取り結べない関係であることが明らかになる」(p.151)。フロイトが考えたように、トラウマは「すべての意識と生命の源にある」(Ibid.)ものなのかもしれない。生命は無機物(死)から生まれるのであり、トラウマはこの生の前の死を反復するものかもしれないのだ。

【書誌情報】

■トラウマ・歴史・物語 持ち主なき出来事

■キャシー・カルース[著]

下河辺美知子

みすず書房

■2005.2

■209,8p ; 20cm

■原タイトル: Unclaimed experience.

■ISBN 4622071096

■定価  2800円

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