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『『嵐が丘』を読む : ポストコロニアル批評から「鬼丸物語」まで』川口喬一(みすず書房)

『嵐が丘』を読む

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「作品の歴史と批評の歴史」

エミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』を、その批評の歴史から振り返って読むという、ありそうでなかった一冊で、楽しく読めた。印象批評からニュー・クリティシズム、そしてポストコロニアル批評にいたるまで、ぼくたちがたどってきた批評の歴史を懐かしく想起しながら。

具体的には、次のように分類されている(p.14-15)。

一、ロマン主義表現主義的な批評。これは作品は作者の感情の表現または氾濫であるとみる「根強い」方法。たとえば作品のさまざまなシーンを「二つのエゴティズムの激突の場面として捉え、ロマン主義のみごとに顕現として説明する」(p.27)手法などがその代表である。

二、リアリズム批評。これは作品が表象するものが「真」であるかどうかによって作品の成否が判断されるものであり、「俗流マルクス主義」批評がその代表である。たとえばマルクス主義的な観点からは、この作品は、貧民窟出身の疎外された者(ヒースクリフ)が、人間的な理解力をもった同志的な人間(キャサリン)と連帯して、アーンショー家と社会

の圧制に反逆する(p.88)物語として読まれることになる。ただしマルクス主義の批評も洗練されてくると、この作品を重層的に、多元的に解読するようになる。アルチュセールやイーグルトンの批評である。

三、修辞的批評。作品は読者に与える効果(修辞性)によって、その生命を獲得すると考える。印象批評も、読者反応批評も、バルトの構造主義的な批評もここに分類される。構造主義的な批評の一つして、レヴィ=ストロースの「交叉いとこ婚」の視点から、この作品の構造を分析する手法もある。するとこの作品の前半部と後半部の位置が「インセスト・タブーに動機づけられた、あの激しい同様の世界が、後半部の合法的な族内婚(女性の交換!)によって調和を獲得」(p.130)ものとして解読されるのである。

四、客観批評。作品は作者、読者、時代環境から切り離された自律的な存在であるとみなすものであり、ニュー・クリティシズムやフォルマリスムがここに入る。これはテクストに書かれていることだけに基づいて、作品の骨格を考察しようとするものだ。たとえば、サンガーという「素人探偵」は、作品で語られている日付を再構築し、「二つの家族の三大の家系図を描いてみると、そこには実に整然たるシンメリトリーが見出だされることがわかる。この厳密な構成原理が物語の時間的な流れの中にもあるのではないか」(p.35)と考えて、詳細な年譜を作成した。そして実際にエミリーがあらかじめ年譜を目の前においていて、時間的な順序をバラバラに切り離したとしか思えないようなクロノロジーが発見されたのである。

またニュー・クリティシズムは、作品は言語的な構築物であるとみなし、精読することで作品の「構成要素が織り成す複雑な相互作用と重層的意味を分析する」(p.48)ことを目指す。これは「発見としての技法」の力、この作品について言えば、「非道徳的な情熱の道徳的壮大さ」の力を明かにしていくという道筋をたどるのである。この物語は家政婦と旅人という「二人の対照的な語り手によって語られる」が、その「二重の遠近法」によって、この作品の世界が客体化され、「発見された」とみある(p.54)。

五、社会学的な文化批評。作品の研究はテクストの内部だけでなく、それが生産された文化的、政治的、経済的な外在的な要素との関連で研究すべきだとされる。最近のカルチュラル・スタディーズポストコロニアル批評がここに分類される。この批評の特徴は、客観的な批評では作品の外部にでることが禁じられるのにたいして、自由に作品の外部を考察しようとすることがある。

この作品ではヒースクリフが後半部で数年のギャップをおいて紳士として登場するが、その空白部については何も語られていない。しかし文化批評ではその考察を禁欲することなく、「批評上の禁制区域」(p.180)に入り込み、自由に空想を働かせる。イーグルトンはヒースクリフアイルランド人だったと推定して、『ヒースクリフと大飢饉』という書物まで刊行してしまうのだ。

ついにはブロンテ姉妹の二つの作品『嵐が丘』と『ジェーン・エア』をつなぐメタフィクションヒースクリフ嵐が丘への帰還』(リン・ヘア=サージェント)という作品まで書かれるにいたるのである。この作品では、姉のシャーロッテが汽車の中で、キャシー宛てのヒースクリフの長い手紙を読ませてもらうというものであり、ここで二つの作品の登場人物が実際に共存できることが示されるのである。

これらのさまざまな批評の技法は、いまでもかなりの程度で利用されているものであり、『嵐が丘』に限らず、どんな作品でも同じような批評技法の歴史を語ることができるだろう。この作品ほど隠された謎の多いものも珍しいので、ほかの作品ではそれほど興味深いものとはならないかもしれないが。同じ技法を哲学の作品についても適用することができるだろうし、それはそれで思想の時代的な刻印をあらわにするのに役立つだろうと思ってみたりする。

【書誌情報】

■『嵐が丘』を読む : ポストコロニアル批評から「鬼丸物語」まで

■川口喬一[著]

みすず書房

■2007.5

■275,5p ; 20cm

■9784622072959

■定価 3200円


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