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『日本経済の憂鬱―デフレ不況の政治経済学』佐和隆光(ダイヤモンド社)

日本経済の憂鬱―デフレ不況の政治経済学

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「経済学者の批判精神」

 佐和隆光氏(滋賀大学学長)の新刊(『日本経済の憂鬱』ダイヤモンド社、2013年)を久しぶりに手にとった。学長職は激務である。京都大学教授時代は年に数冊の本が出ていたが、さすがに最近はあまり本を出していなかったような記憶がある。
 本書は、「失われた20年」の政治経済学的総括を試みたものだが、全体を通読して、過去の話よりは安倍首相の経済政策(いわゆる「アベノミクス」)に対する懐疑的な見解表明のほうが印象に残った。もっとも、著者は、アベノミクスが「壮大な社会実験」であり、その最終的な評価が時期尚早であることは認めている。それでも、現時点での経済学者としての知見から、アベノミクスのいくつかの問題点を指摘しているのがわかるだろう。

 アベノミクスとは、新聞や雑誌で何度も取り上げられたように、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」という「三本の矢」に支えられた経済政策のことである。

 このうち、第一の矢(大胆な金融政策)によって一時はかなりの株高と円安が進行したので、安倍政権への期待も高まったが、「期待」というのは移ろいやすいので、今後も株価や通貨の動きは決して一方向にスムーズにはいかないだろう。著者も次のように述べている。「実験結果のみきわめがつきにくい最大の理由は、日銀の首脳陣に居並ぶリフレ派エコノミストが『異次元金融緩和』の実体経済におよぼす波及効果を『あり』とする論拠の決め手が、『インフレ期待(予想)』という計測(予測)不可能な心理的要因だからである。『期待』ないし『予想』は心もとなくゆれうごく。ゆえにアベノミクスの効果について一寸先は闇なのである」と(同書、248-249ページ)。

 第二の矢(機動的な財政政策)は、不況になるたびに何度も試みられてきたが、著者はすでに数十年前から乗数効果が以前と比べて低下していることを理由に、財政政策の効果を疑問視してきたように思われる(例えば、『経済学における保守とリベラル』岩波書店、1988年)。本書でもその立場は変わらない。「ようするに、ひととおりの家電製品や乗用車を保有している半面、将来への不安と不透明感がぬぐえない家計の限界的な消費性向が低い(収入が1万円増えたとき、消費にまわされる額が少ない)、いいかえれば、貯蓄性向が高いため、乗数は低位にとどまるのである。やはりいまどきの消費者は収入が増えたからといって、すぐさま量販店に飛んでいったりしないのだ」と(同書、201ページ)。

 となると、第三の矢(民間投資を喚起する成長戦略)に期待がかかることになるが、産業競争力会議や規制改革委員会などに著名人が入ったものの、著者は、全体的に「官主導」の印象が拭えないと辛口の評価を与えている。本書の目玉のひとつでもあるが、著者は、第三の矢の実態を観察して、この国が官主導の「国家資本主義」への道を歩み始めていることに危機感を感じているようである。例えば、安倍首相がみずから「トップセールス」(今年の4月末から5月初めにかけてのロシアとアラブ諸国訪問の際に、100人を超える経済人を伴ったこと)をおこなうとか、民間の設備投資や大学教員の採用に関して「数量目標」を義務づけるとか、業績が改善している企業に賃金の引き上げを要請するとか、例はいくらでもある。

 それゆえ、「アベノミクスは国家資本主義体制の再構築をめざす成長戦略」に他ならず、「陣頭指揮にあたるのは経済産業省、主役をつとめるのは農林水産省厚生労働省国土交通省、そして文部科学省である。必要な資金を手当てするのが、財務省日本銀行」であると看破している(同書、245ページ)。

 著者は国立大学の学長をつとめているが、最近の大学改革をめぐる教育再生実行会議や産業競争力会議などの「要請」についても懐疑的である。

 例えば、グローバルに活躍する人材となるには英語力のアップが欠かせないとよく主張されるが、「英語力アップ」と「グローバル人材」になることとは全く違うことだと反論する。ご自身やノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の例をあげて、英語力にはあまり自信がなかったけれども(多少の謙遜も含まれているだろうが)、どういう経緯で若い頃の努力が実って国際学会で通用するような研究者になることができたかという経験を語っている。最初に英語力があって「グローバル人材」につながっていったのでは決してないと強調している。正論である。

教育再生実行会議、そして産業競争力会議に望みたいのは、次の点である。英語力は、グローバル人材育成のための十分条件ではないことはもとより、必要条件ですらないということだ。研究者の場合は、大学や企業から、画期的なイノベーションを世界にむけて発信してはじめて『グローバル人材』、すなわち、世界のあちらこちらからその優れた業績が注目をあび、客員教授などに招聘されるに足るだけの価値ある人材が育成されるのである。そのための環境整備につとめることこそが政府の責務であり、TOEFLの平均点を高めるなどという、うすっぺらな目標を掲げて事足れりとしてもらってはこまるのである。」(同書、231ページ)

 著者は、計量経済学という数学や数理統計学を駆使した分野で若くして名声を博した研究者だが、ご自身の研究遍歴を綴った本(『経済学への道』岩波書店、2003年)を読むと、高校時代から人文・社会科学への関心が強かったことがわかる。そのような経験もあって、最近、研究開発競争で日本のメーカーが後れをとっているという現状に鑑み、アップルの創業者スティーブ・ジョブズの言葉を共感をもって紹介している。「技術だけではだめなんだよ。リベラルアーツ、なかんずく人文知と融合させた技術こそが、私たちの心を高鳴らせるような新製品を生みだすのだよ」と(同書、235ページ)。

 

 著者の久しぶりの新刊は、いつの間にか忘れられつつある「経済学者の批判精神」の重要性を再認識させてくれる。現状をよくわかっている著者だけに、随所に登場する鋭い批判精神には素直に耳を傾けるべきだろう。

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