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『李康白戯曲集 ホモセパラトス』李康白著、秋山順子訳(影書房)

李康白戯曲集 ホモセパラトス

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<劇評家の作業日誌>(63)

 韓国を代表する劇作家・李康白(イ・カンベク)氏が来日し、池袋の劇場で講演会を行なった(6月25日)。今回の来日は、彼の戯曲集『ホモセパラトス』の刊行を祝ってのものである。


 講演の中で氏は、自分の生い立ちに始まり、なぜ演劇の道に進んだのか、そして日本の演劇および演劇人との出会いを語り、最後に先般亡くなられた訳者である秋山順子さんについて心に浸みる言葉で締めくくった。

 氏は3歳の時、伝染病に罹り、足に障がいを持った。(彼は今でも杖を使って歩行している。)彼の母はそのことに心を痛め、彼自身も自分の運命を恨んだが、ある占い師に前世では「風流を嗜む人」であったと言われ、その言葉に救われたという。子供の頃、彼は男の子たちの仲間に入れてもらえず、もっぱら女の子たちと遊んでいた。男の子たちは個人的には優しいが、集団になると弱者苛めをする。それに対して、女の子は分け隔てなく仲間に入れてくれた。ここから彼は、男性が見る世界と女性の見る世界はまったく違うのだということを知った。初期作品には集団に対抗する個の闘いが多く描かれているが、70年代の朴正煕政権時代、すなわち全体のために個人が斥けられる時代にあっては、個人と韓国史の葛藤を描くことが演劇の担う役割だと考えたようだ。

 80年代の後半まで韓国では日本語の上演が禁じられていた。88年のソウル五輪が解禁のきっかけとなり、SCOTの『トロイアの女』上演が最初の公演だった。氏が一番感銘を受けたのは、ニューヨークで観た蜷川幸雄演出の『NINAGAWAマクベス』である。最後に老婆がゆっくりと登場し、そこに桜が舞い、権力者が死を前にして世のはかなさを静かに語る。このシーンに深い感動を覚えたという。

 現在の韓国では、日韓の演劇交流が深まり、両国間で戯曲リーディングが活発となり、日本の作品が頻繁に上演されるようになった。日本人の演劇人で最初に出会ったのは劇団仲間伊藤巴子さんだった。彼女はソウルで自作の『プゴテガリ』の初演を観て(1993年)、即座に翻訳・上演を申し込んできた。それから2年後、劇団仲間は『プゴテガリ』の日本初演に漕ぎ着けた。その時の翻訳メンバーの一人が、今回の訳者の秋山順子さんである。彼女は三十代から腎臓を患い、人工透析を続けながら限られた人生を賭けて、氏の戯曲翻訳に取り組んできた。死が目前に迫っていることを知りつつ翻訳という難作業に挑む姿に、自分だったらそんな仕事をしただろうかと李氏は自問する。「不可能」なことに挑戦する、それを教えてくれたのが秋山さんだった。こう言って氏は講演を締めくくった。1時間の枠を大幅に超える、氏の思いが伝わる講演会だった。

 長々と本書の前提になる著者の講演内容を綴ってきたのは他でもない、この戯曲集の根底にある劇思想が、氏の体験の記憶と分かちがたく結びついているからである。この講演の後に上演された『野原にて』は、韓国では教科書の載るほど有名な作品で、これもまた韓国史の断面を知らしめてくれた。

 ある時、仲の良かった兄弟の土地の真ん中に測量士が線を引いたところからドラマが始まる。たった一本の線が両者を分割し、いつしか二人は仲違いし、憎しみ合うようになった。もちろんこれは南北に分断された朝鮮半島の比喩であろう。と同時に、世界中で今なお頻発する抗争の原型が、この単純な設定の中に凝縮されている。最後に、弟は銃を捨て、タンポポの花を壁越しに兄に渡すところで両者は和解し、劇は終幕を迎える。

 李氏の戯曲の特徴は、優れた寓意性にある。彼自身の経験をベースにして描かれる小さなエピソードは、決してそれだけに留まらない。『野原にて』は分断された民族の悲しみがあるが、両者を隔てる「壁」は、そこに住む人たちによって除去できるという希望が暗示される。それはいささか教科書的な解決に映し出されるが(事実この戯曲は中学生用の教科書向けに教訓的な作品として書かれている)、本当の結末は書かれていない。ただ暗示されているのみだ。頭で納得していても、実際に行動に移すかといえば、事は簡単ではない。その根底には、人間が抱え込んだどうにも解決のつかない不条理がある。事実、1950年に勃発した朝鮮戦争は半世紀以上経っても、依然解決をみていない。ベルリンの壁が倒壊した後、いまだ先進国で唯一残った分断国家の象徴は、依然取り除かれていないのである。

 寓意性として強烈な印象を残すのは、『ホモセパラトス』も同様である。

 この戯曲は1983年に初演された。舞台となる都市もまた二つに分断されている。市長はこれをどうやって和合させるかに腐心する。この都市を訪れた観光客は、まるで合わせ鏡のように互いを映しあっていることを知る。この両者をつなぐのは、若い男女の愛である。彼らは夜な夜な、下水道を抜けて中間にある沼で逢い引きを繰り返していた。この無謀な冒険が両者の蟠(わだかま)りを決壊させる。ところで、この劇には不思議な人物が登場する。剥製師である。「分けられたあちら側で大成功を収めた」剥製師とは、一種の洗脳の名士といったところだろうか。だが彼が唯一剥製することに失敗したのが、逢い引きする女性なのである。そこで彼女を「こちら側」に連れてきて、公開の場で剥製にしたいというのが、彼の野望なのだ。

 ただ両者の結合には、多くの者たちの思惑があり、歴史的に困難さがうず高く積もっている。「長い間遮断しておけば、分けられた人びとはいっそう敵対的な偏見と憎悪をおこすから、まさにそれがホモセパラトスの特徴なんだ。」(106p)

 まさに「分断」を食い物にする商売人や、選挙に利用する政治家は後を絶たない。「ホモセパラトス」とはラテン語で「分断された人びと」を意味する。

『プゴテガリ』もまた寓意に満ちた作品である。倉庫で暮らす男たちは、扱った荷物を伝票通り出荷するのが仕事だが、いったい何が出荷されているのか、当人自身も知ることがない。あまりにも単調な日々のため、相棒のキイムがわざと間違えて出荷するが、先方からクレームも来ない。劇の終盤で、これが爆弾だったことが分かり、荷物を間違えた「失敗」が多くの人間の命を救えたという皮肉がこめられている。

「この小さな倉庫の中ですべてのことを誠実にやることが、実は倉庫の外ではとても大きなまちがいになるものだ」(186p)という逆説は、あまりに苦い。

 だがこうした善行が蛮行に代わる刹那、作者の視点が浮かび上がる。巨視的であるとともに、弱者を切り捨てない作者の価値観がそこに透けて見えるからである。

    

 著者はソウル芸術大学をこの春退官した。長らく劇作科教授を勤められ、多くの後継者を輩出してきた。同じ学科には巨匠・呉泰錫氏が同僚としており、2005年に揃って来日されたことがある。その折、わたしはシンポジウム「戯曲と上演」の司会を務めさせてもらった。彼の辛みの利いたスパイスたっぷりの皮肉は客席に笑いの渦を起こしていたことを思い出す。

 李康白氏は「韓国の木下順二」と称される。事実、彼がもっとも尊敬している日本の劇作家は木下順二である。その彼の戯曲集が木下の本を編集したことのある社主の松本昌次率いる影書房から、『ユートピアを飲んで眠る』に続く二冊目の本として出版されたことは何かの機縁だろう。


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