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『世界一あたたかい人生相談』ビッグイシュー販売者・枝元なほみ(講談社)

世界一あたたかい人生相談

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「路上の声、台所の音」


ビッグイシュー日本版』を買うようになってから、もう6年ほどになるだろうか。最初はホームレスの支援運動を手伝っている母から、「こんな雑誌があるの、見かけたら手にとってみてね」と渡されたのがきっかけだったと思う。それまで、この雑誌の存在にまったく気がついていなかった。だが雑誌を知ってから、大きな駅前やバスターミナル、繁華街のそばにある高架下などを見回してみると、暑いときも寒いときもそこに立つ販売員さんがこのストリートペーパーを販売している姿を見つけられるようになった。路上に立つ販売員さんは、立派な販売台ももたず、人の注意を引くような音をたてることもない。ただ静かに雑誌を持った片手を高く上げて立っている。

ビッグイシュー』は、ホームレスの社会復帰と自立支援のために、イギリスで始まったストリートペーパーだ。月に二回発行される日本版は、日本版公式ホームページによれば2003年9月からの刊行だという。販売員は基本的に家を持たぬホームレスの人々であり、定価300円の雑誌が一冊売れるごとに、160円が販売員の手元にはいる。その売上をもとにして、次の雑誌を購入販売する、というシステムになっている(最初の10冊は無料で提供される)。つまり、購読者がふえ、販売員の売上が多くなればなるほど、ホームレス状態から抜け出し、経済的な自立への第一歩を踏み出す路上生活者が増えるということになる。現在は発祥国イギリスの他に、日本、ナミビア南アフリカザンビアケニアエチオピア、オーストラリア、韓国、台湾で発行されている。

 本誌は300円で購入できる手軽なペーパーではあるものの、内容はとても充実している。日本独自の取材記事もあれば、上記の国際ネットワークで入手される記事も多い。冒頭にはハリウッド・スターやミュージシャンをはじめとした国内外の著名人(最近ではウディ・アレンボブ・ディランレディー・ガガダライ・ラマ14世ジョニー・デップオノ・ヨーコ細野晴臣トータス松本など…)のインタビューが掲載され、セレブリティのさりげない素顔や活動を読者に伝えている。また特集には、時事的な社会問題が取り上げられることも多い。

 『ビッグイシュー日本版』で冒頭インタビューや特集とならんでわたしが毎回楽しみにしているのが、「ホームレス人生相談」である。これは、タイトルの通り、日々の悩みについて——シリアスなものからちょっとしたものまで——、販売員さんからアドバイスをもらうというコーナーだ。内容はさまざまだ。家族のこと、人間関係のこと、自分の性格のこと、つきあっている恋人の愚痴、仕事のこと…それらは誰もが程度の差はあれ、心の中で気にしていることがらである場合が多い。それにこたえる販売者さんも毎回異なる。本書『世界一あたたかい人生相談』は、この「ホームレス人生相談」をまとめたものだ。

 相談内容にたいする、販売者さんたちのコメントがいい。「あなたはこういう人ですね」などと決めつけて判断することもなく、「こうすべき」といった指針を押しつけることはない。むしろ拍子抜けするほど肩の力が抜けている回答がほとんどだ。「そういうこともあるわなあ」「それはつらいね」といった、まずは相談者の現状を受け入れるスタンスが多いのが印象的だ。そこから「こうしたらいいかもしれないなぁ」「その場合相手はこういうふうに考えているのかもしれないねぇ」といういささかおずおずとしたアドバイスが出てくる。おそらく相談する側は真剣で、それなりに切羽詰まっているところもあるかもしれないが、販売者さんによる回答には、その張り詰めた緊張感を、するりとかわすしなやかさがある。おれが偉そうにいえないなあ、お互いさまだからなあ、はっきりした答えがなくて難しいねぇ、といった販売者さんの多くの回答は、なんだか縁側でお茶を飲みながら話しているような、そんな雰囲気を醸し出している。

 たとえば、部屋が片付けられない25歳女性からの相談に対する回答はこう始まっている。

直らんこともないやろうけど、直りにくいわなぁ。俺はもう散らかすほうやな。男はみんなだいたいそうやないかな。

「直るよ」でも「しっかりしろ」でもなく、「直りにくいわなぁ」。男も散らかすしなぁ、人のことは言えないわ、といった口調は、読んでいる方もおもわず「そうだわなぁ」と言ってしまいそうになる。それからおもむろに、この回答者さんは昔つきあっていた女の子のなかで、ゆいいつ「散らかし」だった人の思い出を話し出す。

中に入ったら、布団も敷きっぱなし、足の踏み場もないくらいにゴミやら服やらが散乱してる。それはもう、びっくりして唖然とした。

 でも俺は何も言えんかった。その子のこと好きやったし、傷つけたくなかったからなぁ。

ここから回答者さんの人柄が透けて見えてくる。「びっくりして唖然と」するけれども、そこで彼女への想いが急に冷めたわけではなく(その後別れたそうだが)、「何も言えんかった」という一言に、回答者さんのやさしさが垣間見えるようだ。この相談に対しては、女友達を呼んで「何よこの部屋!?」と思い切って忌憚のない意見を言ってもらったほうがいいと言う。そしてこう付け加えることを忘れない。

ただし、最初に呼ぶ相手、彼氏はあかんで。好きな子を傷つけないようにって、何も言えないもんな。

 自分の過去の人生や知っていることをぽつぽつと話す回答者さんのアドバイスは、読んでいるだけでもちょっと泣けてしまうものもある。たとえば、認知症の母親の介護を、父親からも兄からも押しつけられてしまった30代の女性の相談。日に日に変わっていく母親を見ながら、自分も母親と一緒にいっそ死んでしまいたい、自己嫌悪に陥ったり、生きていく意味がわからないという相談者に対して、販売員である回答者さんはこう応えている。

この人ほんとにつらいんやろね。

この人、1時間でも2時間でも家から出られたらなぁ。それだけでも気分が楽になると思うんやけど。

相談者の心に添うことだけがもちろんいいこととは限らないかもしれないが、この回答者さんのまず相談者の現状を認めて「つらいんだろうなぁ」という共感を示していることが、なんだかとても心に染みる。

 さらにこの回答者さんは、自分の体験を相談者と(読者と)共有する。

実は俺の息子が一歳ぐらいの時、奥さんが出て行ってね。その時は乳飲み子を抱えて仕事にも出られず、本当にもう、この子を殺して自分も…って考えたこともあったよ。でも寝顔を見てたらかわいいやん? そんなんでけへん。いろいろあって息子が5歳の時、別れたきりやけどね。

その上で、逃げずにいまできることを少しずつやっていけば、いつかかたちになるよ、という回答者のアドバイスは、すっと心に染みいってくる。相談内容を「よくあること、おれもこうだったからね」という形で片付けてしまうのではなく、かといって明快な手続きを示すわけでもないが、心の奥にあるしこりをすこしでも取り除くことができるかもしれない、と思わせるような回答者さんたちの言葉がある。

 時には、おそらく相談者がそこまで真剣に相談してきたわけではなさそうな相談に、ものすごくシリアスな回答をよせる回答者さんもいる。読んでいて面白かったのが(人の悩みをおもしろがって申し訳ないが)、仕事が終わっても、まっすぐ家に帰れないという32歳男性の相談だ。仕事帰りに、用もないのに飲み屋や本屋に立ち寄り、終電になるまで家に帰らない。妻は夕食を作ってくれてはいるが、結婚生活はうまくいくだろうか、という文面から察するにわりと軽い調子の相談に対して、回答者さんは「この相談は、怖いね」と述べる。

この相談は、怖いね。この相談の人は、「妻はちゃんと夕食を作ってくれています」なんて、のんきなこと言っているけど、人間ってそんなキレイごとじゃ済まないからね。

というのっけから剣呑な調子だ。

女の人って、怖いよ。夕食は作ってくれているかもしれないけど、実のところはらわたが煮えくり返っていると思うよ。ひょっとしたら、奥さんは不倫してるかもしれないしね。夕食なんか早めに作って、自分は出かければ、わからないわけだからさ。

事故や事件って、そういう何もないように見えているところからもう始まっているもんだ。男女の別れは、何もないところからもう出発点に入ってるんだから。

一見何も問題なさそうに見えるところから、すでに問題は始まっているのだ、というこの回答者の販売員さんはどういう人生を送ってきたのか、そちらが気になってしまう。相談者の人生や回答者の人生を想像しながら読み、読者である自分の人生も考えることができるのが、本書の醍醐味だ。

 相談に対して、販売員さんたちの言葉による回答の他に、悩んだ身体を直接癒やす「アドバイス」が付されているのも、本書の大きな特徴のひとつである。それは、料理研究家・枝元なほみさんによる、レシピによる悩み相談——「悩みに効く料理」である。相談内容と回答のあとに、その相談に「効く」料理が紹介されているのだが、この料理の選び方もまた面白い。

 たとえば、最初の片付けられない女性に対する「効く」レシピは、「15分でできる簡単カレー」。カレーの具をトマトジュースで煮込んで、ルーを入れるだけという簡単さ。なぜこれが「片付けられない」相談への回答レシピなのか? それは「友達をむりやり呼ぶのが、やっぱりいいですよ。定期的にごはん会を催すと、励みができるんじゃないかしら?」という枝元さんの言葉にあらわれている。

 母親の介護を一人でこなさなければいけない相談には、「鶏とジャガイモのスープ」。煮込んでほったらかしにしておけばよいというスープは、「コトコトと火にかける時間が、料理をしてくれます。時間に任せるしかない、そんな時もありますよね。スープだったらお母様にも食べていただけるかな、と思いました」というコメントがついている。

 「まっすぐ家に帰れない」相談者に対しては、渇を入れる枝元さん。「用もない場所に行くかわりに、スーパーに行って買い物して、とっとと帰ってあなたが自分でごはんを作りなさいっ!」というわけで、「焼きイカ定食」のレシピを教えてくれる。販売員さんの路上の声と、台所で枝元さんが調理をする音が、ゆるやかに調和のとれたアドバイスを提供している。

 販売員さんの回答と枝元さんのレシピ――相談をした人たちはどうとらえたのだろうか。全員ではないが、何人かの相談者たちの感想が掲載されいるところも面白い。

 また、ビッグイシュー基金の活動や、日本も参加したホームレスワールドカップサッカーに関する記事、枝元なほみさんのインタビューなどが収録されている。

 通勤に使う駅で見かける特定の販売員さんから『ビッグイシュー日本版』を購入するようになって2年ほどになる。冬の寒いときも、夏の一番暑いときも決まった曜日に駅前に立つ販売員さん——彼もまたホームレスないしはそれに近い立場なのだと思われるのだが——が、どんな暮らしを送っているのか、またこれまでどんな人生を歩んできたのかは、まったくわからない。もちろん販売員さんもわたしの人生を知らない。けれども、知らないところで、見えないところで、たくさんの人生があるのだな、という当たり前のことを教えてくれる一冊である。

 もちろん、「ホームレス人生相談」は『ビッグイシュー日本版』でいまも続いている。路上にいる販売員さんたちをみかけたら、ぜひ手にとってみてほしいと思う。


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