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『いつか僕もアリの巣に』大河原恭祐(ポプラ社)

いつか僕もアリの巣に

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「人の行いはすべてアリに先を越されている」

装丁に惹かれて本を手にとることがたまにあるが、本書はそのケースだった。白いカバーに本物のアリがたかっているように小さな黒い影が散らばっている。手で触れるとアリの部分が盛り上がっていてますます実感が極まる。カバーをとると下にも忍び込んでいて、表一から表四まで、どこを開いてもアリのうろつきまわらない場所はない。

著者は大学に籍を置くアリの研究家である。子供のときからのアリ好きが高じて生涯の仕事になった。アリは昆虫の中でも人に親しまれているものひとつだと語るが、たしかに私も子供のころ、庭にしゃがみこんで何時間でも飽きずに見ていた記憶がある。アリのいそうな石をどけ、巣穴に棒を突っ込みほじくり返し、アリが右往左往するさまを眺めては楽しむ、というアリにとっては迷惑きわまりない子供だったのだ。

アリはいまも生活の一部になっていて、これからの季節はうっかりしていると部屋にアリが上がり込んでくる。ベランダの鉢植えに巣が作られているのだろうか、マンションにもかかわらず初夏になるとアリが畳の上を這いはじめるのだ。一匹見かけると次の瞬間には何倍にもなっていて、徹底した集団行動ぶりに毎年驚かされている。

アリが階層社会を作る昆虫で、女王アリと働きアリとに分れていて、女王アリは産卵が、働きアリはそれを飼育するのが仕事だというくらいはだれでも知っているだろう。だが次の事実は本書ではじめて知って驚いた。働きアリには外勤と内勤がいて、どちらもメスで、年をとるほど外勤を務めるというのだ。つまり私たちが道で見かけるのは、おばあさんのアリなのである。

若いうちは内勤で、高齢化するにつれて外勤にまわされるのは、外勤の仕事は危険度が高いからである。話しが逆のようだが、若くて前途ある娘のアリたちに死なれては困るので年寄りにさせるのだ。働きアリがメスのみなのは、オスは交尾すると役目を終えて昇天してしまうからである。アリでは精子のない未受精卵がオスになる。オスは父親なしに生まれるというわけだ。

種の保存のために合理主義が編み出されるのは自然の摂理だとしても、アリ社会のそれは実に徹底している。角砂糖は粒にして口にくわえるなど、獲物はできるだけパーツにばらして運ぶが、解体がむずかしい場合はフェロモンを出してほかのアリを招集する。すごいのはコノギリハリアリが地中に住むジムカデを採ったときで、坑道が狭くて運べないので、逆に幼虫たちをムカデのところに運んで一斉に食事をさせるという。

野生の生き物はどれも、自然から採集したものを食べて生きている狩猟採集民だと思っていたが、そうでないのもいる。中南米にいるハマキアリはある種のキノコを餌としているが、それをなんと自分たちで栽培しているのだ。植物の葉を刈り取って細かく砕いて巣の中に畑を作ってキノコを育てるのである。まさに農耕民さながらである。またアカヤマアリは奴隷狩りをする。ほかの種のアリの巣を襲ってさなぎを奪ってきて労働力して育てるのだ。

アリは持って生まれた体は平等で、生後の栄養状態によって女王が決まっていく。働きアリたちが卵や幼虫の発育をチェックし、女王となるにふさわしい体を持ったものに餌を多くやるなどの配慮をするらしい。だから「女王」というと優雅に聞こえるが、主導権は働きアリにあって、女王は「産卵マシン」だとも言えるのである。

女王の決め方には、ハリアリ亜科のように決闘によって決める例外的な方法もある。触覚でつついたり、顎でかみつき合ったり、脚や頭をかじって押さけつけるという格闘技で優劣を競う。一位になったアリは卵巣が発達して産卵の準備に入る。体表の物質も変化し、女王のオーラのようなものをまとってくる。敗者には決してこのようなことは起こらず、一位となったアリのみに生理的な変化が現われるのだ。

女王アリは働きアリより体が大きく、翅があって飛行でき、寿命も長くて平均10年、長いのになると20年生きるのもいる。この翅はオスを求めて巣を出ていくときに使われるが、翅の元は翅芽痕といって生まれてくるすべてのアリが持っているという。ただそれが延びるかどうかのちがいなのだ。ハリアリ亜科のトゲオオハリアリは女王の座につくと羽化した若いアリの翅芽痕をかじりとってしまう。自分の地位を揺るぎないものにするために、若者を去勢するのだ。

オスと交尾した女王アリは新たな場所に巣を作って出産する。オスは交尾後に死んでしまうから最初からシングルマザーである。だが、外敵の多い環境下で孤軍奮闘するのは危険も多くて大変なので、女王アリ同士がまとまって母子寮さながらに共同で巣を作ることもあるという。また古巣にもどって母親のところで出産してコロニーを作る「出もどり」の女王アリもいるそうで、まったく何もかもがどこかで聞いたことのあるような話ばかりだ。

読み進むにれてますます、人間の考えることはすべてアリに先を越されているという感を強くした。彼らの行動はどれひとつとして耳新しくない。人間社会に容易に例が見つかるものばかりなのである。このようにアリが高度で複雑な組織を作る理由はただひとつ、自己遺伝子をより多く残すためである。自分と同じ遺伝子を持つ集団が存続すれば自己遺伝子は生き残れるから、コロニーのために過酷な務めを果たしときには自己犠牲も辞さない。

アリ社会のことを知って、これまで人間が家制度や血縁共同体を作りだし、それの運営と存続に励んできたわけが改めて腑に落ちたような気がした。ある時点まで、人間社会もアリ社会同様に遺伝子を残すことが最大の課題だった。すべての事柄がそれを基準に決定され、引き継がれてきた。だが、個の出現によってそれはあっけなく崩れてしまった。個としての一生をまっとうすることが、次世代を残すこと以上に重要になったのだ。

その傾向が顕著になったのは人類の歴史からすればほんの少し前、たかがここ数十年のことである。アリほど長くないにしても、何万年にもわたって遺伝子を残すことを最大のテーマとして世代交替を繰り返してきたのに、ごく最近になって方向が転換したのである。

分かれ道はどこだったのだろうと考える。それと同時に、分岐点にもどってやり直したいなどとはつゆとも思ってない自分を発見する。個が集団に従属させられる時代にはもはや引き返せないのだ。こうなってしまったヒト科の今を見つめることしか出来ることはない。


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