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解説者による戦力分析:未知谷飯島さん

%E9%A3%AF%E5%B3%B6%E3%81%95%E3%82%93.jpg今回の「解説者による戦力分析」では、良質な海外文学を数多く刊行されている出版社、未知谷の編集・発行人である飯島さんにお話をうかがいました。飯島さん、よろしくお願い致します。

──まず、今回の「ワールド文学カップ」という企画を初めて聞いた時、どのような印象をもたれましたか?

飯島:二、三年前でしたっけ? 沼野充義さんが「ワールド文学」という、つまり国境を越えた、どこの国の文学だからどう、というのではなく、良いものは良いというスタンスを取り始めましたね。そういうノリなのかな、と思いました。

──おお、ありがとうございます。では、たった今お渡ししたブックレットの中をご覧頂きたいのですが、今回は「子ども心の国ドイツ」というチームを作り、その中でドイツの三大児童文学作家を取り上げました。

飯島:ケストナー、エンデ、あ、クリュスが入ってる。そうなんですよね。ケストナーとエンデは岩波書店さんとかがメインで出版されていらっしゃったから生き残っているのですが、ジェイムス・クリュスだけは他の出版社さんが手を引いてしまって、一気になくなってしまったんです。大手出版社さんの事情でクリュスだけがいなくなってしまった。それに異議申し立てをしようと思って。

──クリュスを初めて読んだ時は衝撃を受けました。エンデとケストナーに出会ったのは随分前だったんですが、クリュスを初めて読んで、まだこんな作家が隠れていたのかと驚きました。

飯島:「隠れていた」のではなく、日本で隠されていたんです。『笑いを売った少年』を出版した時は、あなた方のお父さんお母さんくらいの世代の人たちから反響が随分ありました。昔読んだ記憶があってその後目にしなくなってしまったものが「あ、ここにあった」と気が付いて、子どもたちに読ませるために買ったという声が沢山あったんです。

──この訳者の森川弘子さんと未知谷さんのタッグは非常に興奮させられますよね。既にクリュスだけで三作品が出ています。

飯島:森川さんは他にもドイツ文学や児童文学を随分おやりになっています。ベンノー・プルードラもまた彼女の訳で出るんじゃないかな。

──楽しみです。話はドイツから逸れるのですが、もう一つ未知谷さんから出版されている本が入っている国があります。

飯島:そんな国があるんですか?

──あるんですよ。「葛藤せめぎ合うイスラエル」です。

飯島:ああ、アモス・オズですね。

──アモス・オズ筑摩書房から以前出版されていた『ブラック・ボックス』を読んですごく面白かったので、他には出ていないのかな、と探していたところ、未知谷さんが『地下室のパンサー』と『スムヒの大冒険』を出版されていることを発見したんです。

飯島:『ブラック・ボックス』も同じ村田靖子さんの訳で出てましたね。『地下室のパンサー』は実は映画にもなっていて、今アメリカで上映していると思いますよ(注1)アモス・オズはもう二十年ぐらい前からノーベル文学賞の候補に毎年挙がっていて、去年なんかは最後の最後までイギリスの賭けでずっとトップだったんです。

──結局ヘルタ・ミュラーが受賞しましたね。

飯島:やっぱり政治体制の問題で、どうしても今ヘブライ文学にあげるわけにはいかない、という文脈だと思うんですよ。ずっとそう言われているんです。村田さんの話ではアモス・オズパレスチナとの共存をずっと訴えているんだけれども、『スムヒの大冒険』も『地下室のパンサー』も幼年期の自伝的な作品で、夢もあるし特に政治性を持ち上げるような話でもないから、こういうのがあってもいいかな、と思って出版しました。その後あまりにもイスラエルの情勢が良くないので最近は手を引いてるんですが。

──実はイスラエルとかアフガニスタンとか、結構好きなんですよ。

飯島:アフガンとか、何かあればやりたいですね。

──今までの話に出たドイツやイスラエルの他にも、このフェアでは計53ヵ国が選ばれています。ブックレットの目次に出場国を載せているのですが、それを見て飯島さんが「この国の本は売れて欲しい!」と感じる国はありますか?

飯島:個人的には、ああ、アイルランドなんていいですね。アイルランドって特殊な国じゃないですか。ウィスキーの発祥の地だったり、文学で言ったらジョイスを生んだり。そうですね、日本で言うと山梨のようなところかな。

──山梨?

飯島:天領だったところですよ。亡くなったドイツ文学の種村季弘さんなんかがおっしゃていたけれど、つまり山の道があって、平野の農民たちの道があるわけです。そうすると山の民たちは接触するために降りてくるわけですよ。そういう人が交わり合う場所には色々なものが生まれるんです。中沢新一とか深沢七郎とか、そこに住む人たちっていうのには自由な発想の持ち主が、縛られない発想をする人たちが多い。アイルランドは土地に縛られているんだけど、人が「動く」というか、大西洋に向かって最先端なわけでしょ。そういう流浪の人たちがいるところには、色々と面白味が出てくると思うんですよ。ウィスキーも好きだし(笑)。

──アイルランドといえばウィスキーですよね、ウィスキーとジョイスの国(笑)。

飯島:あとは、そうだな、イタリアなんかも売れてくれると嬉しいです。感覚が全く違うんでね。

──イタリアにはイタロ・カルヴィーノの作品だけで縛った「カルヴィーノ万歳イタリア」と、それ以外の幻想的なものを並べた「カテナチオイタリア」の二種類があります。

飯島:イタリアって昔、文化の中心だったところじゃないですか。ローマにしても。だけど、文学って元々は北の寒いところのものなんですよ。閉じ込められてないと、じっくり考えられない。地中海の温暖なところでは、本当は文学なんてなくてもいいはずなんです。

──どういうことですか?

飯島:つまり、文学というのは潤滑油というかガス抜き装置みたいなものなんです。例えば人と人との距離が、動物としてのテリトリー感覚的に近づきすぎていると、ストレスが生まれますよね。特に都市のように人がたくさん住んでいる所ではその分だけストレスが多い。アリストテレスは人間は国家的な動物で、集団じゃないと生きていけない、なんて言っていたけれど、それは動物的感覚からすれば近すぎるわけです。異常事態なんですよ。

──異常事態ですか。

飯島:そういう状況の中で生まれる色々なストレスを解消するための装置として、文学があると思うんです。だからガス抜きが必要でない距離を持った田舎で、朝起きて大声出して良い空気を吸っている人たちには、文学作品を読んで自分の殻の中で心地よい気持ちを味わったりする必要がないんです。自然の中でゆっくり良い気持ちが味わえるから、文学で抜かなくてもいいんですよ。そういう意味でいうと、イタリアは昔リッチで有閑階級なんかが沢山いたから文学が生まれてきたけれども、そもそも箍が外れてしまうと文学なんてなくてもいい国なんです。だからイタリアの文学はいつなくなってもおかしくないんですよ。日常性の中でストレスを解消できるはずなのに、それなのに、まだ生き残っている。

──なんだこれは、と。

飯島:そうそう。そういう生き残っている文学は是非受容してもらいたいなあ、と。

──動機の一つひとつが非常に面白いですね。ただ、実際に売場に来て下さるお客様の中には、これまでそんなに文学を読んでこなかった方もいらっしゃると思います。これから読んでみようというお客様は、最初はどのような本に手を伸ばせばいいと思いますか?

飯島:例えば伝統的なイギリスの文学のようなものも読んでおかないと、後のことが分からないと思うんですよね。レトリックと言っても、元がないとレトリックにならないわけですよ。大元の引っくり返すものを知らなければ、引っくり返って転んでいるのを見てもおかしくもなんともないわけです。そういう意味ではヨーロッパの古い文学なんかは読んでおかないとね。読む側にも作法は必要だと思うんですよ。

──ありがとうございます。では、このラインナップの中で優勝するのはどの国だと思われますか?

飯島:紀伊國屋のお客さんって、どちらかと言うと売れている本を買いに来るお客さんが多いですよね。そういうのも考えるとロシアかな。でもロシアは結構古いのが多いな。

──ちなみに僕はチェーホフが大好きなんですよ。

飯島:ああ、チェーホフはいいですよね。

──チェーホフは本当に素晴らしいですよね。未知谷さんは挿絵入りのチェーホフを沢山出されてますよね。

飯島:あれは絵本という文脈で、ひょんなことから始めたんです。

──新鮮で、すごく面白いです。「中二階のある家」が一冊で出るなんて、と思いました。

飯島:生誕百年だった時に、チェーホフ好きだし、うちも一冊くらい出そう、ということで始めました。たまたまパステルナークを訳した工藤正廣さんに言ってみたら、「中二階のある家」一作だけは自分もずっとやりたいと思っていた、というので、じゃあやってみましょう、となったんです。その時にたまたまマイ・ミトゥーリチ=フレーブニコフという絵描きと知己があったものだから、挿絵を依頼したんですよ。「中二階のある家」というのは、単純な中二階ではないんですよね。つまり「中二階のある家」というのは象徴的に地主の別荘を指しているんです。周りにスグリが植わっていて、玄関の前にはポーチがあって。ロシアの絵描きさんならもうさっと書けるようなものなんです。その家に至る道には雪や風を避ける為のような木が植わっていて、みたいなこともすぐに出てくるわけ。

──日本人には難しいことですね。

飯島:我々があの作品を読みながら訳注なんかに書いてあるものを参考にしても、イメージが曖昧なわけですよ。でもロシアの現地の人ならもっと具体的なイメージを持てる。そういう話を別のところでちらっと聞いたんです。それから『話の話』などで有名なロシアのアニメーション作家、ユーリ・ノルシュテインと知り合う機会があって、この『中二階のある家』のマイ・ミトゥーリチの挿絵が素晴らしいという話をしたんです。

──ノルシュテインですか。

飯島:彼も元々絵が上手いわけですよ。ロシアは英才教育というか、絵の上手いやつは絵の上手いやつで集められて子どもの時から教育を受けているので、そういう友達が沢山いるんですね。以前の社会主義体制の時には「絵描き」と認定されると生活費と家とが保障されていたわけですよ。ところがペレストロイカで、「絵描き」という称号だけは残っても、お金はもらえないわ仕事はないわ、自分で仕事を作らなければならない状況になったんです。絵を描いたら売らなきゃいけないのに、画商も何もあるわけじゃない。体制が狂ってしまったんですよ。

──そんなことになっていたんですか。

飯島:だから才能のある人はいっぱいいるし、才能があるのに仕事がない人もいっぱいいる、とノルシュテインが言うんです。それなら逆に、その絵描きさんたちに自分だったらチェーホフのどの作品に絵を付けてみたいか、チェーホフの短篇だったらどれも素晴らしいから、何でもいいから選んでくれ、という風にシリーズ化していったんです。

──すごい。素晴らしい話ですね。

飯島:必要最低限の生活必需品は安いらしいんだけど、一冊やるだけでロシアの一般家庭の年収くらいになるそうなんです。だから他の絵描きさんたちもやりたいって言うようになって、しかもものも良い。それであの「チェーホフ・コレクション」が十何冊かのシリーズになり得たんです。みんな一生懸命絵を書くから、こっちも一生懸命本を作っているんです。

──感動してしまいました。

飯島:他に優勝予想を挙げるとすれば、そうだな、ポーランドは中東欧でヨーロッパに近いし、いい作家が多い国だよね。うちから『ポーランド文学史』なんかも出してるからポーランドをなんとか推したいね。このチェスワフ・ミウォシュという人は、普通じゃ有り得ないんだけど、ポーランド文学の通史を一人でやってしまったんですよ。普通は近世とか現代とかで研究者が全然違うじゃないですか。ところがアメリカの学生にポーランド文学を教えている時に仕方がなくて、古代から現代まで一人でやってしまった。

──すごい。でも今回入っているのはゴンブローヴィッチ、シュルツ、レムだけなんです。

飯島:少ないですね。レムはある程度売れるかもしれないけれど、トップは難しいだろうね。

──それはそうでしょうね(笑)。

飯島:でも予想が当たらなくてもいいんだよね。そしたらレムの『虚数』。こんな本が一番売れたりしたらちょっと面白いね。

──ありがとうございます。では最後にフェアに来て下さるお客様にメッセージをお願いします。

飯島:我々も至らずながら一生懸命、本を作って紹介しております。聞いたことがないからといって手に取らないというのではなく、色々な本を手にとって、あれも面白そう、これも面白そうと思っていっぱい持って帰ってもらいたいと思います。

注1:リン・ロス監督による映画『The Little Traitor』を指す。アメリカの公式サイトはこちら

(2010年3月9日、未知谷さんの社屋にて)

(インタビュー・記事:蜷川・木村)

■飯島さんの優勝予想

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スタニスワフ・レム

長谷見一雄・沼野充義西成彦

虚数

国書刊行会文学の冒険」シリーズ

1998年刊。


参加枠:「異物との遭遇ポーランド

→紀伊國屋書店で購入


飯島さん、どうもありがとうございました。飯島さんの語る言葉から滲み出る深い教養に圧倒されてしまいましたが、大変楽しい時間を過ごすことができました。未知谷さんの刊行物や新刊情報はこちらでご確認下さい。

今後もますます目が離せません。