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『知識人の時代―バレス/ジッド/サルトル』ミシェル・ヴィノック/塚原 史 ほか訳(紀伊國屋書店)

知識人の時代―バレス/ジッド/サルトル

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「『知識人の時代』過去・現在・未来」

                  塚原史早稲田大学教授=訳者)

 もう十年近く前になるが、プラハから列車で二日かけてポーランド南部の小都市オシフェンチムを訪れたことがあった。もちろん、あの「世界遺産」旧アウシュヴィッツ収容所の所在地である。東欧社会主義圏の解体後間もない時期でまだヴィザが必要だったし、国境通過の際には警官がもったいぶってパスポート・チェックに時間をかけたので、古都クラカウまでたどり着いて日が暮れてしまった。駅前のホテルに泊まることにしたが、部屋のテレビはアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』を映していた。自分の知っている映画に偶然出会うとは意外な気もしたが、当時は他に番組もなく、いつもワイダをやっていたのかもしれない。翌日、路線バスで到着したアウシュ ヴィッツは初秋の美しい自然のなかにあり、林檎の木々がほのかに紅い小さな果実を結んでいた……。

 今ではみごとに再建されて歴史博物館になっているこの場所で私が体験したことについては、小著『人間はなぜ非人間的になれるのか』(ちくま新書)に書いたのでくり返さないが、そのとき私が抱いたおそらく素朴すぎる疑問は、半世紀以上前、数年間にわたって、ここで数百万ものユダヤ人たちが文字どおり機械的に連日抹殺され続けたという事実を、同時代の人びとがいったいどうして知らずに生きられたのだろうか、というものだった。政治家の厚顔無恥は言うまでもないとしても、学問や文化と呼ばれる人類の知的営為に責任を負うはずの「知識人」たちが、なぜもっと真剣に真実を追求しようとしなかったのだろうか。この意味では、あのよく知られたアドルノの 警句「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」には、「そして、アウシュヴィッツの最中にも……」とつけ加えるべきではないだろうか、そんな想いが消えないまま、パリにもどってモンパルナスの巨大書店FNACでふと手にしたのが、ミシェル・ヴィノック著『知識人の時代』である。

 初版は当時店頭に並んだばかりの七百ページあまりの大型本で、帯に「メディシス賞受賞」とあり、おや?と思ったのは、それがふつうは文学作品に授けられる賞だったからだ。さきほどの旅先での疑問も手伝って早速買い求め、コレージュ・ド・フランスの隣の常宿でしばら読み進むうちに、なるほどと納得がいった。この書物は、細かい事実や豊富な引用で彩られているとはいえ、人物や著作を紹介する歴史資料の集成などではなくて、十九世紀末のドレフュス事件のゾラと国粋主義作家バレス、両大戦間の進歩的知識人ジッド、戦後アンガージュマンの英雄サルトルを経て、一九九〇年代のブルデューあたりまで、フランス知識人の実像を、彼らの出会いと対決と訣別に迫りながら、時代の激流とともに生き生きと描き出した大河ロマンなのだ。そして、そこで問われているのは、さき ほどの私の疑問にかかわる「知識人」の過去、現在そして未来なのである。

 つまり、ドレフュス擁護派の作家、科学者、大学人、ジャーナリストらに保守派から蔑称として投げつけられたこの語(intellectuel)は、その後、反戦運動学生運動の高揚、国際共産主義の世界戦略などに呼応して「(政治)参加する知識人」というプラス価値を帯びるようになってゆくが、そうした「知識人」自体が、はじめは政治との妥協を強いられ、やがて消費社会と情報社会の氾濫に呑みこまれて、社会全体に責任を持つ知識人から細分化された知の専門家へと変貌をとげて「知識人の終焉」が叫ばれる状況にたどり着くという、まさに「知識人の時代」の全貌が、その先の方向性の展望とともに克明に描写されているのが、ヴィノックのこの記念碑的な著作だといってよいだろう。著者はパリのエリート校、国立政治学院の歴史学教授であり、フランス近現代史の研究者として国際的に知られているが、そんな著者の作家としての文才は最近出版された自伝的作品『ジャンヌとその家族』にも色濃くあらわれている。ヴィノックはそこで、田舎町でバスの車掌だった父、食料品店を営んでいた母と過ごした少年期を感動的にプレイバックして多くの読者を獲得し、あのメディシス賞の評価をあらためて裏づけることになった。

 話が先まわりしてしまったが、『知識人の時代』の翻訳にとりかかったのは、アウシュヴィッツへの旅から帰って間もない頃からだった。これほどの大著は単独訳では困難なので、同僚でロートレアモンとフランス語圏地域文学研究の第一人者である立花英裕氏の応援を仰ぎ、さらに若手の俊英、久保昭博氏(レーモン・クノー研究)と築山和也氏(ロートレアモン研究)の力を借りて、ようやく出版にこぎつけることができた。なんと世紀をまたぐ大遅筆ではあったが、今はただ、ゴール直後のマラソンランナーの気分としか言いようがない。とはいえ、著者のヴィノック氏が、二〇〇七年三月に東京の日仏会館で開催される国際シンポジウム「二十一世紀の知識人」に出席される予定であることは、邦訳書の遅すぎた刊行に素敵な口実を提供してくれるかもしれない。

*「scripta」第2号(2006年12月)より転載


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