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『芝居半分、病気半分』山登敬之(紀伊國屋書店)

芝居半分、病気半分

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「クリニックシアターの誘惑――演劇と私と、時々、ヤマダ」


                          山登敬之精神科医

 一昨年ノーベル文学賞を受賞した英国の劇作家、ハロルド・ピンターは、一九五九年に「レヴューのためのスケッチ」を十数編書いている。それぞれが、上演したら十分あるかないかの短いコントのような作品である。

 そのなかのひとつ『工場でのもめごと』に出てくる工員の役をやったことがある。大学一年生のときだった。演劇サークルの先輩たちが、同じ作家の『かすかな痛み』を上演するにあたって、新人二人に前座でやってみろと命じたのだ。

 相手役はヤマダ君という政治学を勉強している男だった。私たちは、学生寮の部屋で読み合わせをし、夜の教室で立ち稽古をした。公演は一回限り、入場無料。それでも客は十人ぐらいしか入らなかった。

 『工場でのもめごと』は男二人だけの芝居である。工員の私が社長のヤマダに、工場のみんながもうこんな製品は作りたくないって言ってるんですけど、と報告する。その製品が「高速先細軸螺旋形横笛型穴繰り具」とかなんとか、いちいちヘンな名前なのだ。困った社長が、じゃあ連中は何を作りたいっていうんだ?と問うと、工員の方が「あめ玉です」と答える。これがオチ。いや、オチといっていいのかどうか、作者の意図はわからない。なにしろ相手はピンターだから。

 さて、ヤマダと私が田舎大学で演劇を始めた頃、東京の劇場は「小劇場ブーム」に沸きかえっていた。野田秀樹渡辺えり子鴻上尚史らがあいついで劇団を旗揚げし、若者を中心に観客動員を増やしていた。つかこうへいの芝居が上演される新宿紀伊國屋ホールには、連日「満員御礼」の札が出た。

 私の所属したサークルも、中央の動きに反応したのか、代が替わったらつかこうへい一色になった。ヤマダはその前にやめて、べつのサークルの連中と芝居を続けた。バリー・コリンズの『審判』を一人で上演したこともあった。日本での上演は江守徹の次、加藤健一よりも先であった。

 ヤマダは卒業するとすぐに新劇系の劇団に入団した。私は医学部を卒業して精神科に進み大学に残った。ヤマダの劇団から公演の案内が届くたび東京まで見に行ったが、芝居がつまらないのでアンケートはいつもボロクソに書いて帰ってきた。いまにして思えば、芝居を続けているヤマダに対する嫉妬からしたことだが、あのときの演出家は、そんな事情を知るはずもないから、たいそう迷惑だったろう。失礼なことをした。

 大学を離れ東京に戻ってしばらくしてから、劇団東京乾電池が文芸部の研究生を募集しているのを知った。この劇団の公演には学生時代から足繁く通っていたし、憧れの役者や作家がいたので、オーディションを受けてみた。

 うまいこと合格し、研究生として一年間を過ごしたのち、私は晴れて劇団員になった。三十代も半ばに達する頃だった。ヤマダの方は何年か前に劇団を退団していた。

 私が自分の芝居を上演できるようになったのは、四十歳をすぎてからであった。だが、しょせんは演劇中年の狂い咲き、その花はわりと早くに散った。日本一時給の高いバイトをする劇団員は、ふつうの医者に戻って、恵比寿の町に精神科の診療所を開業した。

 診療所の名前は「東京えびすさまクリニック」とした。せっかく高い家賃を払うのだから、仕事場に使うだけではもったいない。経営が軌道に乗るようになってからは、待合室を利用し、週末などに友人、知人を集めてサロンを開いている。精神科関係の勉強会もあれば、演劇愛好家の集いもある。

 いちどヤマダを招いて、『工場でのもめごと』を読んでみたことがあった。二十七年ぶりの再演だったが、一度読んだきり二度は読まなかった。私たちの時は過ぎていた。それもしかたないことだ。

 ところで、こんなことを繰り返すうち、私の頭にクリニックシアターの構想が浮かんだ。診療が終わった後のクリニックを、丸ごと劇場化するたくらみである。

 客が待合室で待っていると、白衣のナースが出てきて、診察室に案内される。そこでは、男女二名の役者による『応募者』が上演されている。べつの客は談話室に案内され、ちゃぶ台をはさんで向き合う女優二人が演じる『それだけのこと』を見る。二組の客が互いに部屋を替わって二本の芝居を見たのち待合室に戻ると、二人の男が受付のカウンターにもたれて話をしている。そう、『最後の一枚』が始まるところだ。

 これらはいずれもピンターの「レヴューのためのスケッチ」にある作品である。ひとつの芝居が、二十歳の私とヤマダをつないだように、二十歳の私と現在の私をつないでいる。同じように、あの寒い冬の教室とこの診察室をつないでいる。クリニックシアターを夢想するとき、私は演劇の力がそんなふうに自分を生かしていることに気づくのだ。

*「scripta」第4号(2007年6月)より転載


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