『木の葉の画集』安池和也 (小学館 )
「真空パックされた落ち葉のスクラップ帳」
草花の名や特徴を解説してくれる人と野山を歩くのは楽しいが、でもきっとまもなく遅れて歩きたくなる。そういう人はまず見つけるのが早いから、なにもかもがその人の眼で進んでしまう。少しほっといてはくれまいか、私が気になる草花に寄り道させてくれまいか、そんな気持ちになるからだ。とはいえそれはいつまでたっても名前をおぼえない自分への言い訳で、いい加減それにも飽きたし、せめて名前くらいおぼえなくては日々の会話も面倒に過ぎる。散歩道の木々の変化を家に帰って話すのに、「貞吉の犬小屋の前の木」だとか「公園の中央トイレの前の白い紫陽花の奥にある木」だとか、それはそれで面白いけどあまりに身内のお話である。いい大人が買っても恥ずかしくないような、それでいてわかりやすくてものすごくよく覚えられるような、そんな図鑑を本屋の棚に探すのだ。
『木の葉の画集』。354種の葉っぱの絵が原寸で刷られた大判の美しい本だ。携帯に便利でもなく、かといってあらゆる種類を網羅した分厚さもない。「図鑑」目線で検索したらひっかかってこないたぐいの本である。だから本屋の棚は楽しい。店員さんが、ここぞと並べてくれたのだ。さて354種とは、いったいどういうしばりの数か。見ると、画家・安池和也さんが6年の間に住まいの近くの雑木林で拾った葉っぱを持ち帰って描いた354種だとある。細かな毛や光沢、色、葉脈、ときに葉裏や虫食いまで、特徴をとらえた緻密な美しさにまず感じ入る。描く季節に決まりはなくて、ほとんどは緑葉だが紅葉や実も随所に配される。それぞれに描いた月と描きながらメモしたかのようなちょっとした葉の特徴が記されている。
コブシの緑の葉っぱの絵には、こう付されている。「コブシ|辛夷|葉の先が突き出ている。縁は少し波うつ。コブシとは、集合果が握りこぶしのように見えることから|別名ヤマモクレン|7月画|単葉|互生|落葉高木|モクレン科」。同じページに、シモクレン、ハクモクレン、シデコブシ。前のページに、ロウバイ、ソシンロウバイ、タムシバ、オガタマノキ、カラタネオガタマ。ついさっきどこかの道で見かけたような "落ち葉" たちが、リズミカルな強弱でもってレイアウトされている。なるほどお気に入りの大切な "落ち葉" をスクラップ帳に貼ってゆけば、こんなふうになるかもしれない。貼ったその瞬間の気配をとどめた、さながら真空パックの落ち葉スクラップ帳のようなのだ。
あとがきに安池さんが書く。
私はこれまで、木の名前もあまり知らず、見分けることもできなかった。何かの木が黙って佇んでいる、それだけでよかった。
「それだけでよかった」のがよくなくなって描き始めた安池さんの本を、「それだけでよかった」のがよくなくなった私がめくる。「彼らを知らなさすぎたことへの贖罪」のような気持ちで、描き始めたのだという。そしてこの6年の間に、葉っぱを拾っていた雑木林の手前にはつくばエクスプレスが開通し、駅ができ、街が広がり、風景は大きく変わった。相変らず黙って佇む木々が落とす葉っぱを拾って、安池さんは木々の時間と人一人ずつの時間を思う。瞬間とは永遠をとらえることである。この画集が落ち葉のスクラップ帳を真空パックしたようだと感じたのは、的外れではない。一枚ずつの葉っぱの絵に、長い長い時間が見える。
監修:中川重年
デザイン:村山純子