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『海に降る』朱野帰子(幻冬舎)

海に降る

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 面白いお話の要素というものを考えてみると、大筋として何か困難が乗り越えられていくプロセス、個性きらめくキャラクター、それから、その話で初めて知る豆知識というか新奇な知見や薀蓄の体系、といったところが、まずは鉄板ではないだろうか。もちろんそれらの要素は、自然に、深いところで、不可分に融け合っていてこそ、物語にハマる快感は高まるわけで、意味もなく不自然にふるまう人物や本筋と絡まない豆知識では、興醒めするばかりだろう。


 『海に降る』は、そんな鉄板の三要素が美しく融合した小説だ。この本を読む10人中おそらく9人は確実に、爽快でハッピーな読後感に浸れるだろうと思う。

 まず何より目を奪われるのは、深海探査という全く未知の世界のあり様だ。

 「独立行政法人海洋研究開発機構JAMSTEC)」、潜航能力世界一の有人潜水調査船<しんかい六五〇〇>、その中でパイロット・コパイロット・研究者の乗組員3名を収める内径わずか2メートルの真球「耐圧穀(たいあつこく)」。ページをめくるたびに次々現れる専門用語に満ちた目新しい情報の群れは、けれどけっして単なる意匠では終わらない。

「外からは見えないけれど、船の中には丸い球が入っている。造船所の熟練技術者たちが、海洋科学技術の粋をこらして製造したチタン合金製の耐圧穀だよ。限りなく真球に近いから、全方位から襲いかかる大水圧にも負けない。この耐圧穀が、中に乗っているパイロットや研究者を護り、深度六五〇〇メートルの世界まで連れていってくれるんだ」(8P)

幼い頃、技術者である父親から聞かされた話は、父親が家族から離れてしまってからも、主人公・天谷深雪の心を縛りつづける。成長した深雪がついに女性初の有人潜水調査船パイロットにあとひと息でなれる、という地点から物語は始まる。

 美人だけど酒乱気味、自分にとらわれ過ぎて周りが見えないきらいもあるが、裏表のない人好きのする性格で根性はあり、そんな深雪が大きな困難にぶつかったとき、ときに励まされ、ときに落ち込まされるJAMSTECの同僚たちを中心とした周囲のさまざまな人たちとの交流が、すごく自然だ。

「科学っていうのはな、社会に役立つものばかりじゃない。やりたいからやってる。そういう研究の方がむしろ多いかもしれない。そういう意味では科学者はエゴの塊みたいなものだ。しかし少なくとも俺には人類の知的好奇心を代表してやってるって自負がある。傲慢な言い方をすれば、俺の研究人生が遅れるってことは、人類の知が遅れるってことだ」

 私に向けられた目山さんの目は驚くほど冷たかった。

「俺たちはパイロットの質が悪かったから今回のミッションは駄目でしたってわけにはいかないんだよ。大事なのは海底で何ができるかなんだ。潜れる潜れないなんていう低レベルな話、これ以上聞きたくもないよ。厳しい審査をくぐり抜けて何とか手にした潜航のコパイロットがお前だったら俺は泣くね。適性がないなら、さっさと辞めた方が皆のためだ」(203-204P)

物語の後半、JAMSTECのトップ研究者・目山が、半ば友人として、けれどやはり根っからの研究者として、深雪にきつい言葉を浴びせる。

 登場人物たちは、研究者は研究者として、先輩パイロットは先輩パイロットとして、広報課員は広報課員として、みんな深雪の都合など関係なしに自分の仕事をそれぞれの性格や来歴に沿ったやり方で淡々と、ときには感情をこめて、こなしていく。読み進めるうちに、深雪とのやりとりを通じて彼ら彼女らそれぞれの仕事の内容やものの考え方、感じ方が、次第にくっきりと了解されてくる。それがやがて、JAMSTECという組織そのもの、あるいは海洋研究開発そのもの、さらには科学という営みそのものに対する深く立体的な理解やそれまでにはなかった親近感へと、読む者を自然と導いていってくれる。

 『海に降る』は、基調としてはプロジェクトX的な成長物語だが、もうひとりの主人公・高峰浩二が主役をつとめる日本海溝に潜む未確認生物の話のほうは、思いがけないSF的展開をみせる。もしかしたら、その途方もないスケールについていけない人もいるかもしれないと感じたのが冒頭の「10人中9人」のわけなのだが、当該のクライマックスシーン、筆者自身は、世の中に数多ある仕事のなかで、科学というものに独特に内包されている魅力――未知への夢やロマンが、驚くべき、けれどとても美しい情景として表現されている、と思った。

(営業企画部 今井太郎)


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