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『事故の鉄道史』佐々木冨泰・網谷りょういち(日本経済評論社)

事故の鉄道史

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「技術の進歩に関して、歴史観が揺さぶれる一冊」

 技術決定論という考え方がある。いわば軽工業から重工業へ、そしてまた重厚長大型から軽薄短小型の産業へというように、技術の進歩を当然の前提と見なし、それに伴って人間社会も変化してきたという考え方である。

 科学技術大国ともいわれる日本社会に生きている我々は、日常においてこうした考え方をしやすいのではないだろうか。例えば、鉄道ができて離れた町同士が結ばれたからこそ交流が始まったのだとか、今度は飛行機が登場して国同士の行き来がしやすくなったからこそ国際化が始まったのだ、というように。

 だが、改めて考えてみると、そこにはある一つの視点が抜け落ちていることに気づく。それは、そもそもなぜ技術が進歩してきたのかをとらえる視点である。

 本書はむしろ、技術の進歩を当然のものと見なしてしまうのではなく、むしろそれを引き起こした背景や要因に一貫して注目している。そこで、本書が注目しているのは、鉄道事故である。

 

 今日でこそ、鉄道は「最も安全な乗り物」の一つとされ、多くの人々が安心して利用している。とりわけ日本の鉄道においては、新幹線が開業以来、死亡事故を一件も起していない(自殺などは除く)ことに代表されるように、その高い安全性を誇っている。あるいは、車輛内部の素材についても、火災を想定して燃えにくい素材を使うなど徹底した対策が取られている。

 だが、こうした日本の鉄道の高い安全性は、技術の進歩によって当然のようにもたらされてきたのではなく、むしろ事故の積み重ねという負の歴史と、それに対する絶え間ない反省のもとに築かれてきたものなのだ。

 

 例えば、鉄道車両の素材についてである。今日では、丈夫な金属を用いて作られるのが当然だが、戦前までは木造の車両も多かった。これが取って代わられていったのは、技術の発展によって自然とそうなったのではなかった。むしろ頻発する脱線事故の際に、破損した木造車両の破片によって乗客が犠牲になることが多かったため、それを防ぐために戦後、急速に鋼体化が進められていったのだ。

 

 あるいは、他国と比べてもはるかに厳しい基準で徹底した難燃化素材が用いられているのも、トンネル内における痛ましい列車火災事故に対する反省が元になっているという。

 このように、本書が一貫しているのは、「技術決定論的史観」ではなく、いうなれば「事故論的史観」とでもいうようなスタンスである。

 

 鉄道が好きな人はもとより、いやむしろそうでない人に対しても、本書を勧めたい。当然のものとして見なしてきた歴史観が多いに揺さぶられる一冊である。

 東北関東大震災以降、原子力発電所の問題で世の中は騒然としている。そのようなタイミングでこそ、決して技術は万能のものでも、あるいはどこかで一方的に進歩するものでもなく、失敗の蓄積とそれに対する絶え間ない人々の反省のもとに進歩してきたことを忘れずにおきたい。

 

 そして本書が、その続編も含めて素晴らしい著作であるということを記しておくと同時に、願わくばこうした書物の記されることのない、事故のない社会が来ることを願うばかりである。


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